第39話:予定があると安心する このあいだ、R25で読んだコラムをもとに書いてみた。 実際にあった話ではない。 よくしゃべるタクシー運転手に遭遇したことはあるけどね。

2008年 ショートショート
第39話:予定があると安心する

「お客さんは、フランスの哲学者ジャン・ギトンをご存じですか?」

 窓の外をぼんやり見ていた私に、運転手が話しかけてきた。本当に話し好きな運ちゃんだな。浮かない声で「知らない」と返事したが、運ちゃんは気にせず語りはじめた。

「戦時中、ギトンは砲火にさらされ、死を恐れた。びびるギトンに、戦友がこう言った。『ジタバタするな。おまえが生きるか死ぬかは運命によって決まっているんだ!』と。この言葉を聞いてギトンは気が楽になった。すべてがあらかじめ神によって決められているなら、ここで恐れたり、泣いたりしても意味がない。それ以来、ギトンは信仰に帰依することにしたそうです。

「キリスト教では、あらかじめ決められている運命のことを『予定』と言います。人間はね、『予定』があると安心するんですよ。だって自分の判断で、自分や家族、仲間たちの命運が決まるとしたらその重圧に耐えきれません。
 すべては神の『予定』にある。自分がここで失敗しても、それにはなにか意味がある。そう思うことで、日々おだやかに過ごせるわけです。

「お客さんは、ベンチャー企業の社長さんなんですってね。
 社長さんは『予定』を決める立場だから、つらいですよ。ひきかえ従業員は気楽です。成功しても失敗しても、上の指示に従っただけですからね。自分の命運を、会社の『予定』に預けているわけです。
 私も自営のタクシー運転手ですから、お客さんの気概はわかります。見知らぬ存在が決めた『予定』より、自分で道を切り開く方が納得できるってもんですよ!」

 私はうんざりして、話を遮った。

「わかったよ。運転手さん。
 あんたがカーナビを無視して、それで道を間違ったことを責めちゃいない。私はキリスト教徒じゃないが、このタクシーに乗ったことには、なにか意味があると思うことするよ。
 だから、もう黙ってくれないか」