第90話:罪を憎んで人を憎まず
2010年 ショートショート
「主文、被告を"人格矯正刑"に処す」
裁判長の言葉に、法廷はどよめく。次の瞬間、ぼくは立ち上がっていた。
「ま、待ってください! それじゃ、被告の望み通りじゃないですか!
被告は人格矯正刑を受けるために、人を殺したんですよ!
ぼ、ぼくの妻と息子が殺されて、なんでコイツが人生をやり直すんですか?」
法廷は水を打ったように静まりかえった。向かいの検察も、となりの弁護士も、裁判長まで黙っている。その静けさが、ぼくに冷静さを取り戻させた。
「原告は静粛に」
言われてぼくは着席した。
正しくは、がくっと膝が抜けたら、椅子があった。
「原告の気持ちはわかります。しかし我が国は死刑を廃止したのです。刑罰は復讐のためにあるのではなく......」
裁判長が異例のコメントを添えているが、耳に入らなかった。
◎
死刑が廃止され、代わりに人格矯正刑が制定されて十数年が経つ。
人格矯正刑は、受刑者の記憶すべてを消してしまう刑罰。自分がどこの誰で、どんな環境で育ち、いかにして犯罪におよんだか──いっさいの記憶と人格、性癖までが抹消される。赤ん坊にもどった受刑者は整形手術を受け、教育プログラムと疑似記憶を植え付けられ、社会に復帰する。
処理は完成の域に達しており、受刑者が記憶を取り戻したり、記憶の一部が残ることはない。処理後はおだやかな人格になり、再犯率はゼロ。死刑は人権的に問題があるし、終身刑は刑務所の維持費がかかる。人格矯正刑はあらゆる面でパーフェクトな刑罰だった。
ところが最近は、人格矯正刑になるために犯罪を犯すものが出てきた。
「生きてるのがイヤになったけど、自殺できない」とか、
「行き詰まった自分をリセットしたい」とか、
そんな連中が通り魔的犯行におよぶのだが、まさか、ぼくの家族が犠牲になろうとは。アイツは犯行現場で「人格矯正刑を希望する」と叫んだらしい。くそぅ。許せない。許せるはずがない。
罪を憎んで、人を憎まず。
アイツは死ぬんだ。その罪は──罪を犯した人格は──地上から消える。それで十分じゃないか。ぼくは刑罰で犯人を苦しめたいのか? そうじゃない。
◎
「これにて閉廷し...」
裁判長が宣言する直前、ぼくは立ち上がって犯人を拳銃で撃った。狙ったわけではないが、銃弾は見事に脳天に命中した。
法廷に悲鳴が響き渡る中、ぼくは叫んだ。
「人を憎んだわけじゃないッ!
ぼくは、哀しい思い出を消してもらうため、人格矯正刑を希望する!」
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