[妄想] インセプション外伝 サイトーは妻の夢を見たか?
2013年 妄想リメイクサイトーはなぜインセプションに参加したか?
まえがき
映画『インセプション』を見て、サイトーのことが気になった。
主人公はコブだが、物語を動かしているのはサイトーだ。サイトーの目的はライバル企業の衰退だが、そのために犯罪者を匿ったり、夢の中まで同行するだろうか? コブのエクストラクション(夢の中からアイデアを盗み出す)を回避したり、禁じ手のインセプション(夢の中でアイデアを植え付ける)を知っていたことも不自然だ。きっとサイトーには、べつの目的があるにちがいない。
てなわけで、そのへんのサイドストーリーを妄想してみた。
青春の終わり
若かりしころ、サイトーは陶芸家を目指していた。しかし大学でサヨコという女性と出会ったことで、運命は大きく変わった。サヨコは世界的な大企業、プロクロス・グローバル社の創業者一族の娘である。サヨコとの結婚は、創業者一族に忠誠を誓い、企業戦士になることを意味していた。しかしサイトーは迷わなかった。
サイトーは創業者一族に忠誠を誓った。
頂点に立った
企業戦士となったサイトーは、きわめて有能だった。相手の先の先を読んで、あざやかな手口で出し抜いていく。敗者が賞賛するほどの辣腕だ。
ほどなくサイトーは経営陣の一角に抜擢された。「縁故採用の婿養子」と揶揄する者はいなかった。賞賛の中には、こんな囁きもあった。
「さすが先代が見込んだ方だ」
サイトーがサヨコと結婚したのは、ひとえに愛し合っていたからだが、愛だけで結婚できるような一族ではない。
先代社長はひそかにサイトーを調査して、その有能さを認めていたらしい。それはサイトーも知らない話だが、気にしなかった。サヨコを愛していたし、仕事も楽しかった。サイトーは人生に満足していた。
だが、昔の友人たちは戸惑っていた。
「なぜ陶芸を捨てたんだ!」
「どうして無慈悲な企業買収ができるのか?」
「まるで別人になってしまった」
なにを言われてもサイトーは気にしなかった。絶対の自信があった。
企業戦士として辣腕をふるう。
芽生えた疑念
サヨコが病気で急逝した。サイトーは一ヶ月ほど休職した。それは妻の死を悼んでことではなかった。サヨコはいまわの際に、奇妙なことを口走ったのだ。
「インセプション。ごめんなさい」
サイトーはエージェントに調査させた。
インセプションとは、ドリームマシンによる治療法の1つで、任意のアイデアを潜在意識に植え付けることらしい。20年前にマイルズ教授が基礎理論を発表したが、現在も実用化されていない。もっとも、ドリームマシン研究は米軍の管理下に置かれているため、その成果は伏せられている。マイルズ教授も資料を接収され、いまはフランスの地方大学に追いやられている。
自分には関係ない話と思ったが、思わぬところに接点があった。20年前、サヨコはマイルズ教授の娘・モルと親交があったのだ。
当時、モルは父親の研究を成功させるため、被験者を求めていた。
一方、サヨコには、どうしても心を掴みたい男がいた。
そして男は、別人に変貌した。
導き出される答えは1つだった。
自分はインセプションされたのか?
揺らぐ自信
1年後、サイトーは以前と変わらず働いていたが、疑念は払拭できなかった。
(サヨコは私にインセプションを仕掛けたのか?
私が陶芸の道をあきらめ、冷徹な企業戦士になったのは、
潜在意識にアイデアを植え付けられたせいか?)
悩んでいても、サイトーの手腕は衰えなかった。サヨコがいない今、仕事をする意味もないのに。私はサヨコを愛していたのか?
ターゲットはコブ
サイトーは調査をつづけていた。
モルは、マイルズ教授の門下生だったコブという男と結婚した。ふたりはドリームマシンの研究をしていたが、ある日、コブはモルを殺害、国外に逃亡する。いまはドリームマシンを使った企業スパイになっているらしい。
しかし事情通は、べつの見解をもっていた。
コブとモルは、ドリームマシンで到達できる夢の最深部──虚無(Limbo)にダイブしていた。夢の中では時間が何十倍ものスピードで経過する。コブとモルは虚無で200年を過ごしたが、なんとか現実に帰還できた。このときコブは、モルにインセプションを仕掛けたようだ。おかげでモルは目覚めたが、副作用として現実感を失い、自殺してしまった。
研究員はコブの無罪を訴えたが、証拠は採用されなかった。一連の流れは、コボル社の関与があった可能性がある。コボル社は、優秀なダイバーであるコブを使役するため、有罪を確定させ、逃亡を手引きしたわけだ。コブも気づいているだろうが、大企業の支配に打ち勝てるはずもなかった。
サイトーはコブに同情しなかった。同じような手口で破滅させた相手がごまんといるからだ。しかし現状、インセプションを知っている人間はコブだけだ。
手がかりはコブ。
マイルズ教授の訓練
サイトーはドリームマシンの知識を得るため、マイルズ教授に連絡した。
「ドリームマシンを使った企業スパイ対策について、アドバイスを受けたい」
最初は訝っていた教授も、サイトーに説得されて引き受けてくれた。サイトーは、マイルズ教授も驚くほど精神のコントロールに長けた人物だった。夢の中で夢を自覚したり、心理防壁を展開するすべを短期間で習得してしまった。
「それはなんだね?」
「これは、ハシオキです。
妻が私のために作ってくれた陶器です。
これを私のトーテムにしようと思っています」
「なるほど。ポケットに入るし、ちょうどいいサイズじゃないか」
「えぇ」
「意識とはなにか、わかるか?」
「わかっているつもりですが、説明できません」
「そうなのだ。
誰もが自分の意識を認識できるのに、
それを他者に示したり、定量的に計測することはできない。
素粒子から宇宙の果てまで観測している人間が、
じつは観測者の意識を観測できないというのは、奇妙な話だ」
サイトーは黙って聞いている。
「ドリームマシンも同じだ。
観測者の意識が干渉するため、他者の意識をそのまま見ているわけじゃない」
「なぜ、その話を?」
「とくに意味はない。
ただ、なにかのヒントになるかもしれないと思ってね」
「ありがとうございます」
サイトーは謙虚に答えた。
マイルズ教授のもとで訓練した。
検証不可能
交流する中で、サイトーはマイルズ教授に好意をおぼえた。そんな人物に娘の犯罪を暴くようなことは言いたくなかったが、サイトーはどうしても知りたかった。
ある日、サイトーはマイルズ教授に事情を話した。
「いかがですか?
娘さんが私にインセプションをかけた可能性はありますか?」
マイルズは誠実に答えてくれた。
「可能性は、ある」
「20年前、モルが企業の依頼を受けてドリームマシンを使ったことは事実だ。
しかしなにをしたか、記録は残っていない。
あのころのドリームマシンはお粗末な実験器具だったからな」
「教授が私にダイブすれば、わかりますか?」
「無理だ。
インセプションによって植え付けられたアイデアは、
自分で閃いたものと区別できなくなる。
それに私が、こうあってほしいと思うものを見てしまう恐れもある」
ふたりは沈黙した。
サイトーが口を開いた。
「教授は、コブの無実を信じているのですか?」
「あぁ」
「どうして?」
「アメリカを脱出したあと、コブはこの教室にやってきた。
そしてドリームマシンで自分の夢を見てくれと言い出した。
私は彼の夢にダイブした。
夢の中で、娘に会った。
モルは狂気を帯びていて、あやうく殺されるところだったよ。
コブの記憶するモルは、コブの証言したとおりだった」
「それは、コブが意図的に見せたビジョンである可能性は?」
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。
ドリームマシンで、裁判所に提出できるような証拠は得られない。
コブも承知しているが、ほかに方法がなかった」
「......」
「コブは繰り返し繰り返し、モルのことを思い出している。
罪悪感がそうさせるのだろう。
モルの死が事故であれ、自殺であれ、なんであれ、
コブは悔いている。それで十分だ」
「学者の私が言うのもおかしいが、
疑いつづけているかぎり、真実は得られない。
真実は探すものではなく、突きつけられるものだ。
私は見たものを受け入れる。
疑惑を抱えたまま死ぬのはいやだった。
娘は失ったが、息子と孫が残った。
そう考えたい」
歯車が噛み合うとき
新幹線で移動中、サイトーは秘書から報告を受けた。部下のカネダが企業スパイ(コブ)に襲撃されたようだ。サイトーはこの事態を予測しており、次に自分が狙われるよう、仕向けてあった。
窓の外を見ながら考える。
(遠からず、コブは私の夢に入ってくるだろう。
そのとき、私も彼を見さだめよう。
コブに、インセプションをやらせるのだ)
眠くなったサイトーは目をつむった。そのとなりに、コブが座った。
ウサギを捕まえた。
インセプション
サイトーはコブにエクストラクションをかけられるが、夢の多重構造を見抜いて窮地を脱した。その後、コブを捕捉したサイトーは、あらためて「仕事」を依頼した。ライバル企業をつぶすため、跡取り息子のロバートに父親の帝国をつぶすアイデアを植え付ける(インセプション)のだ。コブはいやがったが、無罪放免をエサに承諾させた。
サイトーはコブを観察した。インセプションを見届けるため、夢の中にも同行する。
ところがロバートは特殊な訓練を受けており、予想外の抵抗を受けた。サイトーも被弾し、身動きが取れなくなったが、ほかのメンバーの行動は追跡できた。
コブは優秀だった。ロバートは父親の帝国を崩壊させるだろう。外部から操作されたと気づかずに。そうすることが正しいと信じて。
それは同時に、サイトーに絶望をもたらした。
(おれの意識は書き換えられている。
サヨコへの愛も、仕事への情熱も、インセプションされた結果だった。
おれの人生に、意味などなかった)
サイトーの意識は虚無に落ちた。
危険を承知でダイブする。
忘却の海岸
あれから何年、何十年が経っただろう?
海岸にそびえる屋敷で、サイトーは物思いにふけっていた。いや、なにも考えていない。サイトーはだれも信じない。自分自身さえ信じない。サイトーの心は枯れたのに、肉体は頑健で、120歳を超えても死神の誘いをはねのけた。生きている意味などないが、つらいと感じることもない。そんな日々だった。
ある日、警備の男が、不審者を連れてきた。
「私を殺しに来たのか?」
「......」若い男は答えない。
「誰かを待っていた」
「.........」
「夢で会った男か?」
「.........」
「コブか?
ばかな。あの頃は若かった。もう老いぼれた」
意識を閉ざそうとするサイトーに、コブが話しかけた。
「後悔を抱えたまま、孤独に死を待つのか?」
サイトーの身体が震える。
「会いに来た。
思い出してほしい。あの頃のあなたを」
コマがまわっている。いつまでも、いつまでも。
「ここは現実じゃない。一緒に還ろう」
サイトーはピストルを受け取った。
偽りの人生を歩んでいたのか。
ロサンゼルス空港
飛行機の中で覚醒したサイトーは、コブの犯罪歴を抹消するよう連絡した。
空港にはマイルズ教授も来ていた。サイトーが事前に連絡しておいたのだ。サイトーは、インセプションが失敗するところを見たかったのだ。身勝手な依頼だったため、成否にかかわらず報酬を払うつもりだった。
帰ろうとするサイトーに、マイルズ教授が声をかけた。
「サイトーさん。待ってくれ。興味深いものが見つかったんだ」
「なんです?」
「30年前に使われたドリームマシンの写真だ。
ほら、シートが小さいだろう?
きみの体格に合わない。
それに調合された薬品のレシピから、被験者は年配者と推測される」
「どういう意味です?」
「こんな解釈はどうかな?
サヨコさんがインセプションしたのは、父親だったんだ。
先代社長にきみと認めさせ、結婚の許可をもらうために」
「なるほど。そういう解釈もありますね。
義父は私を過大評価していた。私が動きにくくなるほどに。
サヨコが詫びたのは、私の才能を信じ切れず、邪魔してしまったから?」
「どうだろう? きみが求めていた真実だろうか?」
「どうですかね。
真実は突きつけられるものですから。
少なくとも今は......」
「今は?」
サイトーはポケットから、陶製のハシオキを取り出し、ぎゅっと握りしめた。
「後悔しながら、死を待つことはない。
私は仕事が好きだし、妻のことも愛している」
「そうか」
コブたちに呼ばれて、マイルズ教授は去っていった。
サイトーは踵を返すと、携帯電話を手に取った。
「私だ。これから本社に戻る。あぁ、わかっている。
忙しくなるぞ!」
サイトーは笑っていた。
映画の見えないところで1人の男が救われた。
(c)2010 WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.
《おわり》
どうだろう?
こんなストーリーがあっても、いいんじゃないかな?