第94話:世間様が見ている

2011年 ショートショート
第94話:世間様が見ている

「みなさんが言う"SEKEN様"って、なんなんですか?」

 意を決し、私はホストのアサミさんに尋ねてみた。せっかくホームステイしているのだから、この国の文化を学びたい。
「あぁ、世間様ね。うーん、ローズちゃんには難しいかしら」
 小首をかしげるアサミさん。年若い外国人の娘に、どう説明しようか考えあぐねているみたい。コトバの壁はナビフォンで越えられるけど、ブンカの壁は手強い。私は自分の理解を述べた。
「SEKEN様が──社会通念の擬人化だってことはわかります。私の国でも『神が見ておられる』と言いますから。でも、みなさんが言う"SEKEN"様はニュアンスが違うと思うんです」
「そうね、神さまとは違うわ」
「親が子に『世間様が見ている』と諭すのは理解できます。でも、私は見ました。空き缶を捨てた大学生が、小学生に『世間様が見てるよ』と指摘されたり、仕事に疲れた配達員が『大丈夫、世間様が見てるさ』と励まし合ったり。書店にも『世間様が見ています』という張り紙がありました。あれは、どういう意味なんでしょう?」

 アサミさんはわかりやすく教えてくれた。

「あのね、十年ほど前に"監視社会"が問題になったの。
 いたるところに監視カメラや生体センサーが設置されて、犯罪捜査や事故処理はスムースになった。でも、警察や役人が信用できなかったから、完全中立な人工知能にゆだねることが決まったの。人工知能はいまも私たちの生活を見守っている。ここまでは観光ガイドにも書いてあったでしょ?」
「は、はい」
「でもね、人工知能はもっと些末な問題にも対処してくれているようなの。職場のセクハラ、行列の割り込み、路上の喧嘩にも相応の罰を与える。警官が来て逮捕するようなことはないけど、その人の社会的評価がちょっぴり下がったり、福利厚生の順序が後回しにされたり……」
「ほ、本当ですか?」
「あ、いえ、これは推測よ。政府がそう明言してるわけじゃないわ。科学者がプログラムを解析しても、そんな機能はなかった。でも、そうとしか思えないような因果応報が、身の回りにたくさんあるの。いつしか私たちは『世間様が見ている』と実感するようになったわけ」

 そのとき、玄関のベルが鳴った。
 私が呆然としていると、応対を済ませたアサミさんが戻ってきた。

「ローズさん! このあいだ落とした帽子が見つかったんですって! よかったわぁ。やっぱり世間様は見てるのよ」


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