子どもの目はいつ開く?

2005年 社会
子どもの目はいつ開く?

葛西臨海水族園で、はしゃぎまわる子どもたちを見た。
声を上げて、目を見開き、手を振って、前も見ずに走り出し、ぶつかっては泣き叫び、また珍しいなにかに気を取られる子どもたち。
その快活さは、見ているこっちが感動してしまうくらいだった。

そんな子どもたちを見ながら、妻がつぶやいた。
「子どもって、何歳くらいから物心つくんだろう?」
あまり幼いうちに連れてきても、子どもは見聞きしたものを覚えていないだろう。だとしたら、親の苦労も報われないのではないか、という問いかけだ。

──その答えは、自分の中にある。
目を閉じて、自分のもっとも古い記憶をさかのぼってみる
まぶたの裏に浮かぶのは断片的なシーンばかりで、どこで、いつ、なにをしているところなのか、サッパリわからない。たぶん、同じ場所で同じことをしてもピンとこないだろう。

「思い出せないからといって、無駄とは言えないだろう。」
と私は答えた。
子どもの記憶なんて、いつシャッターが落ちるかわからない写真機のようなものだ。
富士山に登っても、セーターの絵柄を記憶するかもしれない。カリブ海に連れて行っても、トイレで見た足の長いクモを記憶するかもしれない。ヘリコプターからマンハッタンの夜景を見せても、室内灯のスイッチを記憶するかもしれない。

親が見せたいところに注意が向くとはかぎらない。いや、それを期待する方が無茶なのだ。3歳はNGで、10歳はOKという話じゃない。
親の苦労はつねに徒労に終わると考えた方がいい。

では、子どもを外へ連れ出すことは無意味かというと、そうではない。具体的なことは忘れてしまっても、「なにかをした」という漠然とした印象は残る。そうした経験の中から子どもは“自分自身”を作っていくのだから。

具体的なことは忘れてしまっても、漠然とした印象は残る。
1つの哀しみがあっても、1,000の喜びがあればシアワセになれる。

考えてみればそれは、私たち(大人)だって同じじゃないか。

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