いい仕事≠いい評価

2005年 政治・経済
いい仕事≠いい評価

たとえば、沢から水を汲んでくる仕事があったとしよう。

「いい仕事」とは、スムースに水が運ばれてくることだ
継続するために、ときおり休日を入れる。余剰金で、道具や道を整備する。事故を想定し、あらかじめ対応策を練っておく。
バクチを避け、できるだけ汗をかかず、危険を最小限にし、淡々とこなしていく。
……それが「いい仕事」ってもんだ。

しかし「いい仕事」が、「いい評価」を受けるとはかぎらない

同じ仕事をしているB君がいたとしよう。
B君はアクロバティックな手法を取り入れ、ダイナミックに実践した。しかし予想外のトラブルが発生。緊急事態となり、メンバーが総出で対応することに。徹夜して、奔走して、無理を押し通して、なんとか納品する。もうみんなヘトヘトだ。

世間では、B君の方が評価されるようだ。
まぁ、無理もない。評価するのも同じ人間だ。昼も夜もなく働いている姿を見れば、情も湧く。数字だけを見て、冷静に判断できるはずがない。
B君も、直後は反省するだろう。だが、いずれ同じことを繰り返す。苦しむことが仕事だと刷り込まれているのだ。そう易々と改善されるわけがない。

一方、着実に進めていた方はどうなったか?
刺激のない仕事ぶりを見て、周囲はこう言うだろう。
「なんか……簡単な仕事なんだね。」
「簡単だから、水の料金は安くてもいいかな?」

これじゃ、割に合わない。

──では、どうしたらいいか?
手を抜くのは流儀に合わない。

ならば、やることは1つしかない。

ページ先頭へ