【ゆっくり文庫】クリスティ「パディントン発4時50分」(1)ミス・マープルより 4.50 from Paddington (1957) by Agatha Christie

2018年 ゆっくり文庫 イギリス文学 クリスティ ミステリー
【ゆっくり文庫】クリスティ「パディントン発4時50分」(1)ミス・マープルより
074 殺人、と彼女は言った──

ライ麦殺人事件から数年後。メアリー・ダブは並行する汽車の窓から男が女を絞め殺す現場を目撃する。車掌も警察も信じなかったが、マープルとルーシーは事件があったことを立証する。

はじめに

 【ゆっくり文庫】版「パディントン発4時50分」は完成してないが、先日のドラマ「パディントン発4時50分 - 寝台特急殺人事件」にかちんと来たので、第1回だけ公開することにした。
 「ポケットにライ麦を」から数年後で、人間関係に変化が生じている。順序よく投稿すべきだが、がまんできなかった。

 完全版ができるまで編集後記は書かなくていいやと思ったが、ないのも寂しいので書いておく。

原作について

アガサ・クリスティ

アガサ・クリスティ
(1890-1976)

 「パディントン発4時50分」は、飛び抜けておもしろいわけじゃないが、何度も映像化されている。やはり「並行する汽車の窓に殺害現場を目撃する」というイメージが強烈で、予告編だけで人々を魅了できるからだろう。

 でもそれは導入部でしかない。本編は「だれが殺された?」でえんえん引っ張るから、いまひとつ緊張感がない。列車がトリックに影響するわけでもない。クリスティのノートにあるように、与えられた手がかりで犯人と動機を見出すのは不可能だ

 探偵の動機も弱い。友人の証言が正しいとしても、お芝居の練習だったり、蘇生して自力で列車を降りた可能性もある。老婆が自腹を切って調査するのは不自然だ。
 原作には、「老いへの抵抗」というテーマがある。マギリカディ夫人はちょっと調べただけで「できることはやった」と納得するが、マープルは「自分はもっとできる」と奮い立ち、単独で汽車に乗って検証し、友人知人に時刻表や地図を読み解いてもらうが、身体の自由が効かず、ルーシーをたよる。これはこれで説得力があるが、映像化しづらい。

 原作のルーシーが登場する唯一の物語であるから、避けるわけにもいかない。そこで【ゆっくり文庫】版ミス・マープルの最終回と位置づけ、どのように翻案するか、ずっと考えていた。

先行作品について

 Wikipedia の記事によると、映画2本、ドラマ4本、アニメ1本がある。それぞれを紹介すると長くなるので割愛。私は2006年の岸恵子版だけ見ていない。どうにか見る方法はないものか。

上演 制作 タイトル マープル役
1957 原作小説 4.50 from Paddington -
1961 イギリス映画 ミス・マープル/夜行特急の殺人
Agatha Christie's Murder, She Said
マーガレット・ラザフォード
1987 イギリスBBC 「ミス・マープル」第9話
Miss Marple
ジョーン・ヒクソン
2004 グラナダテレビ 「アガサ・クリスティー ミス・マープル」 S1E03
Agatha Christie's Marple
ジェラルディン・マクイーワン
2005 NHKアニメ アガサ・クリスティーの名探偵ポワロとマープル 第21-24話 八千草薫
2006 日本テレビ 「ミス・マープルシリーズ」第一作「嘘をつく死体」 岸惠子
2008 フランス映画 アガサ・クリスティー 奥さまは名探偵 パディントン発4時50分
Le crime est notre affaire
カトリーヌ・フロ
2010 ゲーム Agatha Christie: 4:50 from Paddington -
2018 テレビ朝日 パディントン発4時50分 寝台特急殺人事件 天海祐希

コメンタリー

 まだ第一回なので、語れることは多くない。第二回、第三回も個別に書くか、まとめて書くか? まだ先のことだから、あとで考えよう。

イントロダクション

 【ゆっくり文庫】のミス・マープルシリーズは、けっこう先まで構成を考えてあり、「パディントン発-」は最終回に等しいものと位置づけていた。
 すなわち、少しずつ経験を積んできたルーシーが、ミス・マープルに等しい存在となり、独立する。表層的には事件関係者のひとりと結婚し、マープルにお暇をいただく。「パディントン発-」に至るまで、最低でも2つの事件を解決させるつもりだった。

 いわば最終回を先行公開するにあたって、状況の変化を説明しておかねばならぬ。めちゃくちゃネタバレだが、ま、こういう趣向もいいだろう。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※数年後の未来を、ちょっとだけ見てみよう

成長したルーシー

 ルーシーはスーパー家政婦として成功したが、いまだマープル家に、家賃を払って住んでいる。またマープルといっしょに、孤児院の少女たちに最新の家政婦事情を教えている。もはや使用人とは言えないが、マープルとの主従関係を維持したいと思っている。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※成長したルーシー:マープルと同じ高さで、大きな本を読み、落ち着いている

クリスティ「パディントン発4時50分」
※じつは同じ本をメアリー・ダブも読んでいる。数学の本という設定。

 メイド見習いとして、エセルが登場。原作のエセルは盗癖があって、マープルが育成をあきらめた少女。【ゆっくり文庫】版はルーシーにあこがれ、まじめになった。

「スーパー家政婦って、だれから聞いたの?」
「ペサリック弁護士さん。ジョーホーコーカンしました」
「!」
 というやり取りがあったが、パイロット版なので削除した。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※エセルが改心するエピソードとか欲しくなる

クリスティ「パディントン発4時50分」
※ゆっくり文庫るーみあ

殺人、と彼女は言った

 原作ではマープルの友人、エルスペス・マギリカディが殺人を目撃する。マギリカディ夫人(演:ゆかり)は、「完璧なメイド」ですでに登場しており、バントリー夫人(書斎の死体、鏡は横にひび割れて、ほか)、ルース・ヴァン・ライドック(魔術の殺人)の役割を兼ねてもらう予定であった。たとえばマギリカディ夫人の依頼を受けて、ストニゲイト荘を潜入捜査する、といったように。

 しかしサー・ヘンリー(演:ゆかり)が人気になったこと、マープルの友人では面白味が足りなかったことから、ルーシーの友人、メアリー・ダブに置き換えることを思いつく。ルーシーの主体性が問われることになり、独立にふさわしい設定となった。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※私服のメアリー・ダブ

「信じてもらえない」恐怖

 「並行する汽車の窓に殺害現場を目撃する」というシーンは、ゆっくりでは再現困難だったため、マーガレット・ラザフォードの「ミス・マープル/夜行特急の殺人」(1961)の映像と音声を借用した。手抜きとか演出ではなく、これしか方法がなかった

クリスティ「パディントン発4時50分」
※殺人を目撃するショックを、うまく表現できただろうか?
 
 殺人を目撃後、メアリー・ダブは最善の行動をとったように見える。車掌や警察に信じてもらえないことは織り込み済みで、ひとえにルーシーに「やるべきことはやった」と言うための行動だった。手紙を2通書いて、予備をもってきたのではなく、マープルに提出したほうが本命だ。

 当初は、「信じてもらえなくてもいい」と思っていたが、死体が見つからなかったことで「信じてもらえない」恐怖に駆られはじめる。こうなると、「信じてますよ」と口で言ってもダメで、行動で示すしかない。マープルとルーシーは示し合わせることなく死体を探しはじめるが、その目的はメアリー・ダブを安心させることだった。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※メアリーは「信じてもらえない」恐怖に汚染されていく

クリスティ「パディントン発4時50分」
※論理的に考えることで、落ち着かせている

クリスティ「パディントン発4時50分」
※それでも恐怖症がつきはじめていた

 余談。「完璧なメイド」でルーシーはブローチを盗んだと疑われ、解雇された。「信じてもらえない」恐怖のため、悪徳に染まる寸前だった(→芥川龍之介「羅生門」)。ルーシーは、マープルが味方になって、ちゃんと行動してくれたことを、いつまでも感謝している。

クリスティ「完璧なメイド」
※ルーシーの出発点 「完璧なメイド」より

危なことはしちゃダメよ

 メアリー・ダブは先月、ルーシーと事件を解決している。手際の良さに感心したが、不安も感じるようになった。
「このまま探偵のマネゴトをしていたら、いつか危ない目に遭うのではないか?」
「ミス・マープルは老人で、家族もいないから、危ないことをしてもいい。でもルーシーはふつうに結婚して、ふつうに幸福になるべきだ」
 そんな思いから、マープルに調査をやめさせようとするが、すでにルーシーはマープルが御するところではなかった。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※マープルは手綱を握ってなかった

 余談。作中の地図はデタラメ。ロンドンの西に川は流れていないし、セント・メアリー・ミードの想定される位置も異なる。これは「プリマス行き急行列車」に使う地図をいじったため。
 それからマープルたちが調べた線路は単線になっている。これじゃ急行が追い抜くことはできないが、見逃してくれ。

どうして事件を追っちゃうの?

 ルーシーとマープルは、なぜ事件を追うのだろう? 善意もあるが、それだけじゃない。ふたりは捜査を楽しんでいる。人が殺され、メアリーが心を病みそうなのに、不謹慎だろうか? いや、事件を楽しんでしまうことは、探偵に不可欠な素質であろう。
 「ポケットにライ麦を」のように、憐れみや怒りから行動することもある。けれどマープルは言うだろう。「復讐は楽しいものです。だから多くの人が、人生を捧げてしまう」と。マープルが流した涙は、勝利の涙だった。

クリスティ「ポケットにライ麦を」
※勝利の涙 「ポケットにライ麦を」より

ドイル「6つのナポレオン」
※探偵に不可欠な素質 「6つのナポレオン」より

「どうして事件を追っちゃうの?」
 その答えは、「楽しいから」。結婚できなかった老婦人と、孤児の家政婦は、悪徳を祓うことで社会とつながっている。ではジェーン・マープルが幸福な結婚をしていたら、探偵にならなかっただろうか? それが最後に問われるテーマになるだろう。

 クレジットでマープルが答える。

「私はいつも楽しんでます」

 原作のイメージから乖離するけど、こんなマープルを見てみたかった。

次へ

 かくしてルーシーはクラッケンソープ屋敷に潜入。ほどなく死体を発見し、ミッション終了となるはずが、想定外のことが起こる。

 原作の魅力を残しつつ、不自然なところを整え、自分なりメッセージを加える。そーゆー工夫をしているところに、あのテレビドラマは・・・。カチンと来ましたね。あはは。

クリスティ「パディントン発4時50分」
※クラッケンソープ家は、ひねくれた一族だった

クリスティ「パディントン発4時50分」
※好きだったのに、遊ばれていた

クリスティ「パディントン発4時50分」
※死体が見つかって、どうするか?

雑記

 コメントでも指摘されていたが、咲夜のメイドキャプなし後ろ姿や、妖夢のメイドキャップあり後ろ姿がない。素材の更新があれば、この第1回も再出力されるだろう。いろいろイレギュラーだが、ご容赦されたし。

 パイロット版が2つ続いたことも申し訳ない。ほんとは中島敦「名人伝」を投稿するつもりだったが、ちょこちょこ納得できてない。しかもまた予定ない作品を取り上げることになった。いやはや。


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