萌えとビタミン剤
2005年 哲学中学のころの話。
学校行事の山登りでヘトヘトになった私に、理科の先生がこんな話をしてくれた。
「伊助、疲れたか? そんなときはビタミン剤をのむと疲労回復するぞ。」
「そうなんですか?」←疲れ切った14歳の私
「あぁ、ただし1回だけだ。」
「?」
「ビタミン剤はものすごーく吸収しやすいんだ。だから、あっという間に体内器官がナマってしまい、ふつうの食べ物からビタミンを分解・吸収できなくなる。するとビタミン剤なしには、疲労回復できなくなるんだ。」
「そ、そうなんですか!」←おびえる私
「あぁ、だからビタミン剤が使えるのは1回だけだ。どうだ? 使うか?」
「い、いえ、いいです……」
このあと先生は、「死ぬ寸前まで痛み止めを拒否したフロイトの話」をしてくれた。いま思うと、いささか極端な話だが、間違ったことは言っていない。
どんな薬も、使えば使うほど効かなくなると言う。薬の成分は同じだから、身体能力が衰えていくという意味なのだ。
(薬は便利だし、必要なものだが、安易にたよるべきではない。)
これは、私の信条の1つとなった。
◎
「萌え」もまた、ビタミン剤のようなものだと思う。
かわいい要素が、吸収しやすいように詰まっている。
特徴的な外見、聞き取りやすい声、理解しやすい性格、精神的負荷の少ない展開……。良質のビタミンだけで構成されている。
「現実」はそれほど吸収しやすくない。
面倒で、不愉快で、臭くて、時間がかかる。驚くような筋書きも、気の利いた演出もない。不純物だらけだ。
だが、それらを丹念にかみ砕き、分解していくと、小さな小さなビタミンのかけらを取り出せる。
純粋なビタミン剤に比べると、質は悪い。だが、喜びは大きいのだ。
ちょっと断っておく。
私は「萌え」が異常だとか、「現実」が素晴らしいとか、そんなことを言うつもりはない。どっちも楽しめた方がいいに決まっている。
偏った現実主義者なんて、了見が狭すぎる。
「小説や映画なんて、どうせウソだから観ない!」
「どんなに苦しくても、薬は使わない!」
と言っているのに等しい。
そして同時に、偏った萌え主義者も許せない。安直すぎる。
◎
てな話を友人にしたら、こう言われた。
「つまり伊助さんはビタミン剤に慣れちゃったのね。
ふつうの萌えでは、もう効かないと。
もっと強い萌えをくれと、そう言っているわけだね。」
まぁ、そうかもしれない。