島原武家屋敷 / 水路に沿って残された江戸時代

2009年 長崎県 建物:日本家屋
[WGS84] 32.792699, 130.362804 - Google Earthで開く(kml)

今日は午前中に島原観光、午後はフェリーで熊本に渡る予定である。

ホテルをチェックアウト後、昨日は立ち寄れなかった武家屋敷通りに向かう。荷物フル装備だから、身体が重い。途中の中学校で、剣道部が朝練をしていた。元気な声が心地よい。ほどなく武家屋敷通りの西端に出た。

島原城田町門跡
※島原城田町門跡:ここから先は城だったようだ

すぐ近くに榊原郷土資料館があった。『まぼろしの邪馬台国』のロケ地になったらしい。少なからず興味はあったが、休館日だった。

島原武家屋敷跡

この一帯は武家屋敷街(鉄砲町)と呼ばれ、島原城の築城とともに形成された。鉄砲組(徒士)が住んでいたことと、当時は隣家とのあいだに塀がなく、まるで鉄砲の筒をのぞくように見通せたことから、鉄砲町と呼ばれたらしい。

武家屋敷
※ここから武家屋敷

現在、保存されている下の丁の武家屋敷は長さ406.8メートル、幅長5.6メートルの町並みで、山本邸、篠塚邸、鳥田邸の3軒が一般に無料開放されている。公開されている屋敷には人形がおかれ、当時の暮らしがしのばれる。おもしろい。無料公開とは思えない。

武家屋敷通り
※人がいる?

武家屋敷通り
※朝8時だが、入れてよかった

武家屋敷通り
※よく保存されている

武家屋敷通り
※必殺仕事人の中村家を彷彿させる 「婿殿!」

ご来島ありがとうございます
※投書箱に「ご来島ありがとうございます」とあるが、島原は島?

武家屋敷水路

武家屋敷の中央に流れている清水は、飲用や防火に使われ、水奉行がおかれ、厳重に管理されていたそうだ。ちょろちょろ水が流れる音が聞こえると、不思議と気持ちがなごむ。

武家屋敷通り
※武家屋敷街をつらぬく水路

武家屋敷通り
※まっすぐだ

武家屋敷通り
※触ってみると、ひゃっこい

武家屋敷通り
※水路に沿って歩く

武家屋敷通り
※前を歩く夫婦

武家屋敷通り
※梅が咲いている

ここは野外博物園ではなく、今も人が住んでいる。要するに「住宅街」だ。そしてここに住人の多くは、鉄砲組の子孫なんだろうな。何世代にもわたって家を継いだり、お隣さん同士ってのは、どんなことなんだろう? 私には継ぐ家もなければ、継がせる財産もない。好きなところに住めるし、イヤになれば出て行く。そんな私からすれば、数百年もつづく近所関係は窮屈そうだが、実際はどうなんだろうね。

武家屋敷通り
※島原城へ

武家屋敷を抜けると、島原城が見えた。昨夜も見たけど、もう1回見ておくか。そのまま大手川をわたって一番街アーケードの「湧水めぐり」をしよう。午後は島原外港から熊本入りだ。