【ゆっくり文庫】小泉八雲「生き神様」 A Living God (1896) by Lafcadio Hearn
2014年 ゆっくり文庫 ファンタジー 小泉八雲 日本の民話 日本文学022 私たちはタダであり、五兵衛なんだ──
小泉八雲は、紀州有田の農村の長「浜口五兵衛」の物語を聞く。大きな地震のあと津波の予兆を察した五兵衛は、村人たちを高台に集めるため、思い切った行動に出たという。
原作について
最初は、稲むらに火をつける覚悟を描きたいと思った。津波が来なかったり、被害が小さければ、愚かな自滅になる。津波が見えてから判断したいが、それじゃ間に合わない。人間が災害を出し抜くには、狂気に踏み込むしかない。であればこそ、神として祀られるのも納得できる。
しかし事実を調べてガッカリした。儀兵衛は津波の発生後、収穫済みの稲むらに火をつけていた。また神社に誘導したのであって、彼を祀る神社はなかった。迅速な避難に役立ったとはいえ、物語ほどの興奮はない。こりゃ、しょぼい動画になると思った。
※魔理沙が演じる小泉セツもいいね
ところが、さらに調べると印象が変わった。儀兵衛が藩に掛けあって年貢を免除してもらい、私財を投じて広村堤防を築いたことで、住民の離散が食い止められた。ただお金を配るのではなく、みんなで復興することで、郷土愛が増した。これは学ぶべきところが多い。
儀兵衛はたしかに稲むら(=財産)に火をつけていた。そして人々に深く、長く感謝される偉業を成し遂げていた。
しかし一連の動きは複雑で、人に伝えにくい。そこで簡潔な物語にして語り継がれたのだろう。
小泉八雲は、存命中の人物に神格を与えることに驚いていたが、あながち間違ってはいない。これは神話の卵だった。
※ネットで調べると震源地もわかる
小泉八雲がつないでくれた
小泉八雲が「A Living God」を書いたとき(1896)、中井常蔵が「稲むらの火」を書いたとき(1937)、昭和南海地震(1946)は起こっておらず、広村堤防の効果は証明されていなかった。具体的な証拠がないまま語り継がれてきた物語は、具体的な証拠を得たとたん、忘れ去られてしまう。なんと皮肉なことだ。
※地震被害を食い止めたことで物語が生まれたわけじゃない。逆だ。
過去と現在をつないだがの西洋人・小泉八雲というのも感慨深い。いま私たちが先祖の活躍に感心できるのは、八雲が発掘して、海外に伝えてくれたからだ。
中井常蔵が儀兵衛が建てた学校で学んでいたこと、「稲むらの火」がアメリカの学校でも読まれていたこと、教科書に復活したのが東日本大震災の翌月であることなど、調べれば調べるほど言いようのない気持ちになった。
後の世に伝えることがいかに難しく、いかに大切であるか。
【ゆっくり文庫】では、物語より「物語を語り継ぐ物語」をクローズアップすることにした。なので物語パートは簡潔に、解説パートをいつもより長めにしたが、どちらも物足りない。動画を2つに分けたほうがよかったか? 思いが大きくなりすぎて、うまく出力できなかった気がする。
何度もチェックしたが、掲載情報に誤りや思い違いがあるかもしれない。指摘があれば修正したい。
- 小泉八雲「生きる神」 ... 有田みかんの愛育園サイト内にある訳文
- 気象庁|稲むらの火
- 稲むらの火 webサイト
- 稲むらの火の館 【和歌山県広川町公式HP】
- 内閣府 | 紙芝居「津波だ!いなむらの火をけすな」
- アジア地域における「稲むらの火」普及プロジェクト
- 7代濱口儀兵衛 【ヤマサ醤油】
史実 | 「生き神様」 | |
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主人公 | 儀兵衛 35歳 | 五兵衛 老人 |
浜口家の住居 | 低地の集落 | 高台 |
村の宵祭 | なし | あり |
村人 | 1,323人 | 400人 |
地震の揺れ | 激震 | 長くゆっくりした揺れ |
稲むら | 脱穀後 | 脱穀前で全財産 |
火を放った理由 | 津波襲来後、安全な場所に誘導するため | 津波襲来を知らせるため |
それから | 紀州藩と掛け合って年貢を免除してもらう、広村堤防を築く、耐久舎を開設するなど功績多数 | 神として祀られた |
動画制作について
物語パートは簡単だったが、解説パートは手こずった。脚本のまま作ると冗長になってしまうのだ。文章だけでは飽きるし、頭に入ってこない。しかし情報を盛りすぎると理解が追いつかない。使える素材もかぎられているから、けっこう苦労した。おかげで公開が1日ずれてしまった。
受け継がれていくことを表現するため、タダ(ようむ)を大人にする演出がほしくなり、五兵衛(こーりん)のメガネをかけさせた。何度も使った演出であざといが、ほかに妙案もない。今後の作品は、どこかで見た演出が繰り返されることになるだろうな。
凝視 |
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凝視 |
メガネ |
さて、次の脚本を考えよう。