【ゆっくり文庫】ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」 The Snows of Kilimanjaro (1936) by Ernest Hemingway

2016年 ゆっくり文庫 アメリカ文学 ドラマ
【ゆっくり文庫】ヘミングウェイ「キリマンジャロの雪」
058 だれも説明できない──

キリマンジャロの山頂には、干からびて凍りついた豹の屍が横たわっている。豹がなにを求めて登ってきたのか、だれも説明できない。

原作について

アーネスト・ヘミングウェイ

アーネスト・ヘミングウェイ
(1899-1961)

 今回は娯楽作品じゃないし、明確にどうこう言える状況じゃないから、反応が予想できない。ともあれ、私の思考遍歴を書き出しておく。

はじまりは漫画「BANANA FISH」

 「キリマンジャロの雪」というタイトルを知ったのは、吉田秋生の漫画『BANANA FISH』(1985-1994)だった。ヘミングウェイの作品は主人公アッシュの死生観に強い影響を与え、のちにアッシュの師匠であるブランカの愛読書とわかって、興味をもった読者も多いだろう。たぶん。

BANANA FISHで語られるキリマンジャロの雪
BANANA FISHで語られるキリマンジャロの雪
※BANANA FISH 第5巻で語られる「キリマンジャロの雪」

奥村英二はアッシュを理解できていたか?

(以下、『BANANA FISH』を読んでる前提で話す)
 アッシュは運命に逆らうが、戦いに終わりは見えなかった。いつか殺されることは避けられそうにない。アッシュは、それでも戦いつづける自分を豹の死体に重ね、意味を問う。話を聞いた親友の奥村英二は、「人間は運命をかえることができる。豹にない知恵をもって。」とアッシュを慰める。
 しかし豹は知恵がないから、山頂に向かったわけではあるまい。アッシュも、「もう2度と戻れないことを知っていたにちがいない」と言っている。さらにアッシュは知恵と能力で運命を変えている最中だ。
 英二は、豹の死に価値を認めず、とにかく生きてほしいと願う。気持ちはわかるが、ズレている。これは吉田秋生の演出なのだろうか?
 それを知りたくて図書館に向かった。

小説「キリマンジャロの雪」 - 頭がどうかしちゃったの?

(以下、小説『キリマンジャロの雪』を読んでる前提で話す)
 小説「キリマンジャロの雪」は、想像とはまったく異なるものだった。豹の屍は冒頭にさらっと紹介されるだけで、登場人物の会話はもちろん、モノローグにさえ出てこない。不注意で死んだハリーを豹の屍に重ねるのは難しい。なによりハリーの回想は支離滅裂で、わけがわからない。壊疽の毒がまわったということか? 正直、がっかりした。

映画「キリマンジャロの雪」 - そこまで変えていいのか!

(以下、映画『キリマンジャロの雪』を観ている前提で話す)
 その後、1952年の映画『キリマンジャロの雪』を鑑賞して、ふたたび唸る。なんと救援の飛行機が間に合ってしまうのだ。ハリーはヘレンを愛していることに気づき、ふたりで生きていく。なんたるハッピーエンド。飛行機を撮影する予算が尽きたから、ここでぶった切ったようだ。ここまで変えていいのか? ディズニーが「人魚姫」の結末をひっくり返したような衝撃だ。
 しかし本作が上映されたのは小説発表の16年後。ヘミングウェイも存命である。小説を読んだ人のための映画なら、ハッピーエンドも悪くないかもしれない。

The Snows of Kilimanjaro (1952)
※The Snows of Kilimanjaro (1952):なんと飛行機が間に合った!

だれも説明できない

 ネットに有志の翻訳があったので、ふたたび読む。感謝。
 ヘミングウェイの経歴や当時の世相を踏まえ、ハリーとヘレンの関係に集中する。

 ハリーがカネ目当てに結婚したことも、ヘレンが自分好みの女であることも事実だろう。ヘレンがハリーをひたむきに愛したことも、その愛がハリーを追いつめたことも事実だろう。矛盾しない。
 ハリーは再起しようとしたが、書けないとか、評価されないといった結果を出すことなく、まったく関係ないところで死んだのである。

 「キリマンジャロの雪」が書かれたころのヘミングウェイは、著述家としての名声を得ていたが、7年にわたり小説を書いていなかった。アフリカで狩猟を楽しんでいた彼は、アメーバ赤痢に罹って生死をさまよい、飛行機で搬送され、その窓からキリマンジャロを見た。また桁外れの資産家(妻の叔父)に援助され、苦々しい思いもしている。ヘミングウェイの小説に出てくる人物や状況は、彼の人生に類似を見つけることができる。

 ヘミングウェイは戦うことが好きな男だ。18歳で第一次世界大戦に駆けつけ、最初に負傷したアメリカ人になっている。スペイン内戦にも積極的に関わった。彼は戦争と事故で、尋常でないほどの傷を負った。肉体の頑健さと行動力がなかったら、ヘミングウェイはどこかで死んでいただろう。しかし肉体が頑健で行動力があったから、無鉄砲だったとも言える。

 晩年は事故の後遺症から頑健さや行動力は衰え、うつ病に悩まされる。何度も邪魔されるが、ついに散弾銃での自殺に成功する。61歳だった。

「この世は素晴らしい。戦う価値がある」
The world is a fine place and worth the fighting for

──『誰がために鐘は鳴る』より

「人間は、負けるように造られてはいないんだ。殺されることはあっても、負けることはないんだ」
Man is not made for defeat. A man can be destroyed but not defeated

──『老人と海』より

 あらためて読むと、ハリーが豹の死体と重なった。人は流れに逆らい、力尽きて流される。それを無意味と言うなら、意味ある死とはなにか? 山頂を目指さず、地表で平和に暮らしたところで、いずれ死ぬ。山頂にたどり着いて、帰ってこられたとしても、いずれ死ぬ。死は、当人の事情や、仕事の進捗なんか顧みず、無慈悲に奪い去る。そういうものだ。

 ハリーの死に意味があったのか? だれも説明できない。

 あれこれ考えてるうちに、この小説が好きになった。おかしなものだ。

翻案について

 【ゆっくり文庫】をはじめた当初から、「キリマンジャロの雪」を紹介したいと思っていたが、原作をそのまま映像化しても、私の感動を伝えることはできない。《おまけ》で解説するのもおかしい。長いこと悩んだが、ふいに心のリミッターが外れた。

 私は本を閉じ、頭のなかで物語を再構成した。このプロットで自分が小説を書くとしたら、どんな構成にするか? どんな会話をさせるか? 豹の死に価値があったかどうか、ハリーとヘレンを対比させたい。ヘレンをもっと描きたい。それからそれから...。

 こうして妄想脚本ができあがった。
 「原作とちがう」との批判は甘んじて受けよう。

妄想メモ

 ハリーとヘレンが置かれた状況は会話で描写されるが、これまでの経緯はモノローグになってわかりにくい。しかし一人称にすると、ラスト(ハリーの死後)で行き詰まる。なのでナレーションを置くスタイルに整えた。

キリマンジャロの雪
※キリマンジャロに登る豹、お気に入りのシルエット

 「オリエント急行の窓から見えたブルガリア山脈の雪」や「ガウエルタールの木こり小屋で脱走兵を逃がしてやった話」、「ウィリアムスンが手榴弾ではらわたをぶちまけた話」などは全部カット。断片的だし、時代背景を説明すると冗長だった。

 あと細かいところ。キリマンジャロの西の山頂を示すマサイ語は、原文は「Ngaje Ngai」で、西崎憲氏と陰陽師氏は「ヌガイエ・ヌガイ」と表記したが、Wikipediaでは「ンガジェガ」とあったので後者にした。キリマンジャロの標高は、原文は「19,710 feet」で 6,007メートルだが、Wikipediaの記載は5,895メートルだったので後者にした。余談だが、温暖化のせいでキリマンジャロの雪はだいぶ消えてしまったね。
 原作のラストに啼くのはハイエナだが、ややこしいのでハゲタカ(コンドル)にしている。

男と女

 原作では、ハリーからヘレンに近づいている。カネ目当てに結婚したというのはウソじゃなさそう。しかしそこを掘り下げるとテンポが悪くなったので割愛した。一方、ヘレンは愛人を作って孤独を癒やしていたが、このへんもうまく盛り込めなかった。
 ふたりとも純真無垢な子どもじゃない。人生に傷つき、妥協して、残ったものを大切にしている

 【ゆっくり文庫】のヘレンは、原作以上に愛を吐露する。周囲に人がいないから、あけすけに「好き」といえるのだろう。そういう意味でも、ふたりだけのアフリカ旅行は楽しかったはず。しかしその愛と尊敬と奉仕が、ハリーを追い詰めていることに、彼女は気づかない。ハリーもまた、追い詰められていることを決して認めない。そんな緊張感を表現できたらいいな。

キリマンジャロの雪
※美しく、賢く、乗馬や射撃もでき、資産家で、従順な女

 この物語を考えるようになったきっかけは「BANANA FISH」だから、その問いかけをエンディングに引用した。また奥村英二のように、ヘレンはとにかく生きることを優先する。しかしハリーは、山頂に向かうことが生きることだと思っている。たとえ途中で倒れるとしても。
 ふたりの乖離は大きいが、だから駄目というわけじゃない。

配役について

 ハリーとヘレンといえば「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」を思い出すが、幽々子はともかく、きめぇ丸にマッチョな雰囲気はない。文庫劇団唯一の男性キャラである霖之助は、後ろ姿がないので脱落。魔理沙を起用するが、違和感があったため、動画完成後に霊夢に差し替えた。
 霊夢&幽々子は、「ゆっくりマープル」のマープルの愛、「地獄変」の良秀の愛と思って見ると、感慨深い。

 ハリーとヘレンはトラックに荷物を積んで、たくさんの召使いを引き連れてキャンプしている。2人だけでサバンナにテントを張っているわけじゃない。1930年代なら当たり前のことだから、ヘミングウェイもあれこれ説明していない。しかし現代人のため、時代背景をあわせて説明すると冗長になるため、名前は出すが、姿は見せないことにした。顔が黒いゆっくりキャラが出てくると、雰囲気が壊れる。

キリマンジャロの雪
※当初は魔理沙が主役で、黒人の召使いもいた

映画のショットを使う

 【ゆっくり文庫】職人の朝は、素材探しにはじまる。禿鷹やサバンナ、狩猟、パリ、スペイン内戦などの写真は集めたが、あるものは映画「キリマンジャロの雪」から借用した。原作の描写に比べ、スーザン・ヘイワードは美しすぎると思っていたが、自分で映像化するとやっぱりヘレンは美しく描いてしまう。

キリマンジャロの雪
※グレゴリー・ペックはイケメン

キリマンジャロの雪
※グレゴリー・ペック(ハリー)とスーザン・ヘイワード(ヘレン)

おまけに、いい体だ

 ハリーはヘレンの性的魅力について語っている。これは重要だから省けない。適当なエロ画像を加工したが合わないので、MMDモデルを使ってみた(使用したソフトはMikuMikuMoving)。モデルを動かすのは難しいが、ショット撮影はなんとかできる。試すと、思いのほか破壊力があった。

MMD 幽々子ビキニ
※自分でも驚く破壊力

MMD 幽々子ビキニ
※幽々子ビキニ

西行寺幽々子_アールビット式ビキニSW20.pmx
MMD用モデルデーター:西行寺 幽々子_N式Evo アールビット式ビキニ(物理演算対応モデル)
原案:東方project ZUN氏
モデリング:nakao氏、アールビット氏

視覚化の工夫

 原作では唐突に「死」が襲ってくる。その描写は不可解で、幻覚を見たのではないかと疑わせる。ストーリー的に省けないが、視覚化しようにも一般的な死神のイメージじゃないと明言されているから、骸骨(悪霊)は出せない。
 結局、よくわからない球体になったが、これはこれでいいように思う。

キリマンジャロの雪
※よくわからない死が襲ってくる

 飛行機に乗るシーンも悩んだ。本来ならハリーを詰め込み、飛行機の向きを変え、離陸し、召使いたちが手を振る姿が小さくなって、大平原を見渡すシーンがあったのだが、結局、シンプルな描写になった。このスタイルに落ち着くまでの試行錯誤をお見せしたいよ。

キリマンジャロの雪
※ゆっくりが飛行機に乗ったよ

音楽について

 『装甲騎兵ボトムズ』サントラは素晴らしく、いつか【ゆっくり文庫】に使いたいと思っていた。なので「キリマンジャロの雪」の脚本は、最初から曲をイメージしながら書かれている。とはいえ、物語と曲をシンクロさせるのは難しく、ゆっくりMovieMakerのタイムライン上での調整は難航した。脚本の多くは、曲のため書き換えられている。
 苦労したけど、その価値はあったと思いたい。

雑記

 今回は視聴者の反応が読めない。八つ当たりするハリーが「最低」「クズ」と罵倒され、ヘレンの下着姿が喝采を浴びるだろうが、そーゆー作品じゃない。娯楽作品と思って再生した人は戸惑うだろう。そもそも動画を見ながらコメントできるはずがない。しかし、わかってもらうために作ったから、わからないと言われるのも悲しい。ま、コメントを気にしても意味がないので投稿ボタンを押しちゃおう。

 それにつけてもまた魔理沙の主演が流れてしまった。近ごろは妖夢だけでなく、早苗や霊夢にも脅かされている。【ゆっくり文庫】を支える大女優、復権なるや。とはいえ、小泉セツとワトソンで持ち役は十分だけどね。

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