罪なき者まづ石を擲て

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罪なき者まづ石を擲て

 先日、帝王切開で患者を死なせた医者に無罪判決が言い渡された。

 ニュースを読むかぎり、妥当な判決に思える。しかしmixi日記では、「遺族感情」やら「医療不安」を叫ぶ声もある。医療ミスではないと事実認定されても責任を問う人たちは、決して失敗しないのだろうか?

 たとえばえん罪判決が出たとき、担当した検察官が投獄されたという話は聞かない。ひとりの人間の社会的地位に抹殺しておきながら、なんの責任もとらないのは不条理だ。えん罪は絶対に避けなければならない失敗だが、その責任を問うたら検察官のなり手がいなくなる。私が検察官なら、なるったけ起訴しない。犯罪撲滅は職業上の使命だが、自分の人生を賭けては挑めない。

 医者も同じで、患者が死ぬたびに責任を問うたら、医者のなり手がいなくなる。私が医者なら、なるったけ手術をしない。ちょっとでも異常があれば流産させる。どう治療するかより、誓約書を書いてもらうことに時間をかけるだろう。

 医療が失敗したとき、それが予測・回避可能であればミス(過誤)とされる。しかし予測・回避可能かどうかの判定はあいまいだ。人間は簡単な動作であっても、理由もなく間違うことがある。「絶対を保証するのがプロ」というなら、プロは死んだ人間だけになる。

 「医療ミスを黙認しろ」と言っているわけじゃない。
 ただ、絶対を保証する医者は、大したコトしてくれないと思う。

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