[Minecraft日記] 自ずからに由る

2011年 娯楽 Minecraft ゲーム
[Minecraft日記] 自ずからに由る

目覚めると、森の中だった──。

Minecraftはプレストーリーもチュートリアルもなく、いきなり見知らぬ世界に放り出される。きょろきょろ周囲を見渡すが、特徴的なものはなにもない。なので、すぐ道に迷う。そもそも道がない。というか、目的地もない。

Minecraftの世界は広い。森林、草原、砂漠、湿地、山岳、海洋などの地形があって、雨や雪もふる。歩けば歩くほど地形が生成されていき、究極的には地球の8倍くらいの広さになるそうだ。

そんな世界に自分だけがいる──。

なにをするのも自由。森を伐採しようと、湖を埋め立てようと、誰かに指図されたり、誰かの許可を求める必要はない。自分で計画し、自分で働いて、自分が恩恵を得る。まさに自由。「自ずからに由る」(おのずからによる)だ。

特定のゴールがないから、自分でゴールを考える。
あの山をトンネルでぶち抜こう。巨大な石造りの城を築こう。寝室と倉庫を分けよう。駅を作ろう。オオカミを手なずけよう。カボチャを栽培しよう......。
途中でやめてもいいし、ずっと同じことを繰り返してもいい。この自由さがたまらない。これまで多くのゲームをプレイしてきたが、Minecraftほど自由なゲームはなかった。いや、自由を感じさせるゲームというべきか。

ゲームは進化するにつれ、「自由度の高さ」を競うようになった。アイテムが増えたり、マップが広がったり、行動オプションが多くなったり......。しかしそれらは、ストーリーという大枠に制限されていた。
たとるなら「東京から大阪へ行く」という目的は決まっているが、徒歩か電車か飛行機かを選べるようなもの。最適解を見つけたり、「船に乗ったらどうなる?」という好奇心に「欠航です」といったリアクションがあれば、おもしろいと感じていた。
そうしたストーリーをなぞるだけのゲームを否定する人もいる。たしかに、ボタンを連打しないと進まないB級映画みたいなゲームはつらいが、それはストーリーが悪いのであって、ストーリーを否定する根拠にならない。少なくとも私にとって、ゲームにストーリーは不可欠だった。

しかし、そうではなかった。もちろん、「ゲームにストーリーは不要!」と言うつもりはない。つまらないSandbox型ゲームもたくさんある。ただ、「ストーリーがなくてもおもしろいゲームが存在する」ことは強調しておきたい。

用意されたパズルを解いて、用意されたストーリーを感動するゲームも悪くはない。しかし自分で試練を考え、自分で感動を見いだすゲームもいいよ。
Minecraftは、自分の性格がよくわかるゲームだと思う。