[Minecraft日記] 電気羊はアンドロイドの夢を見るか?
2011年 娯楽 Minecraft ゲームゲームのキャラクターに感情移入したことはないだろうか?
Minecraftの世界を歩いていると、窮地に陥った動物をよく見かける。崖の上から下りられなくなった羊とか、池にはまった牛、穴に落ちた豚などだ。プレイヤーが近づくと、こっちに顔を向け、鳴き声を上げる。プログラムされた反応なんだけど、心を揺さぶられてしまう。
で、つい助けてしまう。足場を作ったり、ふたたび落ちないようフェンスをつけたり……。はっきり言って、無駄な作業だ。邪魔なら殺せばいい。むろん、無益な殺生はよくないが、相手はプログラムだ。「かわいそう」と感じる必要はまったくない。
頭でわかっていても、心が言うことを聞かないこともある。
Minecraftの動物はドットテイストで表現されており、かわいくない。本物らしくもない。しかしプレイヤーに気づいたときの反応や、プレイヤーと同じく物理ダメージを受けること、そしてプレイヤーが遠ざかっても消滅しないことが、私の感情移入のスイッチを押しているようだ。
◎
P.K.ディックの小説、『アンドロイドは電気に羊の夢を見るか?』(1968)を思い出す。
近未来、高度に発達したアンドロイドは、もはや人間と見分けがつかなくなっていた。故障したアンドロイドを見つけるために、特別捜査官たちは感情移入の度合いをテストする。心を揺さぶる質問をして、動揺しなければアンドロイドというわけだ。
ところが、感情移入したふりをする新型アンドロイドが開発される。主人公はなんとかアンドロイドを見抜くが、一部のアンドロイドに感情移入するようになる。すると、頭ではアンドロイドと認識してるのに、相手の「気持ち」を思いやってしまう。アンドロイドの痛み、悲しみ、虚しさを察するようになった主人公は、はたして任務を遂行できるだろうか?
◎
ゲームに登場する動物やモンスターを、「Mobs」と総称する。Mobileの短縮形から派生した用語で、ゲーム業界では昔から使われていたようだ。これまでプレイしたゲームにも、(自発的に行動する)敵兵やパートナーがいたから、べつに目新しいものじゃない。
しかしMinecraftのMobsには、進化を感じたよ。じりじり感情移入している自分に気づかされる。モンスターを殺すときにさえ、独特の抵抗感がある。「同じ世界に生きている仲間」という共感が芽生えつつあるようだ。
このまま進化していけば、Mobsと真剣に向き合う日も遠くないかもしれない。