ガソリンがない
2005年 哲学 果実をとる方法果実をとる方法 【虚空篇】
業務は軌道に乗ってくると、私の出番は減っていった。
やがて、出社せずとも仕事がまわるようになる。もちろん、完全に手放しできるわけではないが、それなりの自由を手に入れた。
そんな私の前に、分岐点があらわれた。
A.もっと仕事をして、もっと儲ける
B.仕事から少し離れて、"本業"に戻る
私はBを選んだ。2003年(32歳)のことだ。
◎
──久しぶりの執筆活動。
中断していた10年のあいだに、いろんな経験をした。
文章力不足は否めないが、ジャンプ力はついたはず。
今こそ、果実を我が手に! とりゃーっ!
ところがまぁ……書けないのだ。これはもうショックだった。
たとえるなら、歌いたいのに声が出ない感じ。
昔は下手でも、気持ちよく歌えたのに……。
以前は、頭の中にある物語を外に出せずに苦しんでいた。わき出る泉のように、放っておいても物語は頭の中に浮かんでくるものだった。
それが……出てこない。
書けるのは、断片的なシーン、キャラクターや世界観、プロットなどの説明資料ばっかり。むりやり書きつづけると、途中で大きく逸れてしまう。時間を区切り、字数を制限しても、まとまらない。
こんなはずではなかったのに……。
◎
そんなある日、数年ぶりにGと会った。
私の事情をきくと、Gは言った。
「ガソリンが入ってねぇよ」
──Gの話はこうだ。
伊助(私)のエンジンや車体は悪くないが、肝心のガソリンが入っていない。発想力や文章力、計画性、根性だけじゃ駄目だ。「こーゆーのが書きてぇ」という衝動が不可欠なのだ。
衝動……もしくはアイデアの泉は、エンタメに接することで育まれる。
仕事のために捨てた趣味。
アニメ、特撮、漫画、同人誌、フィギュア、ゲーム、小説……。
これらの作品に触れて、「おもしれー!」「ふざけんなぁ!」「こんなの作りてぇ!」「おれに書かせろ!」という熱い想いがなければ、物語を書けるはずがない。
Gは、エンタメ鑑賞を「ガソリン」にたとえた。
つまり、燃焼とともに減ってゆき、つねに補給する必要があるわけだ。
100万本の作品を観ても、無限に走れるわけじゃない。いい作品を深く観るのはいいが、玉石混淆かまわず観まくることも大切ではないか。
そういってGは、幾つかの作品を貸してくれた。
私が鎖国しているあいだに、エンタメは大きく進化していた。
多様化したゲーム、萌えに走るアニメ、新境地を開拓した特撮……。
素晴らしい作品をみれば、心が躍り出す。
わけのわからない作品をみれば、心が暴れ出す。
ガソリンは、エンジンルームで爆発し、駆動力を生み出す。
……なるほどなぁと思った。