検証のための検証

2010年 社会 犯罪 社会
検証のための検証

法務大臣が、検察の捜査を検証する第三者機関の設置を検討しているらしい。

検察の権威が失墜した今、検証機関を置きたくなる気持ちはよくわかるが、実効性には疑問符がつく。そもそも検察の仕事は、警察の捜査を検証することだろう。警察と検察がなれ合う問題についても、裁判員制度や検察審査会でカバーしている。この上さらに検証機関を作るのは、効果がないばかりか、警察や検察の質を下げると思う。

ここで思い出されるのは、『ニュースの天才 (2003)』という映画。1998年にあった実際の事件を描いている。
アメリカの権威ある政治雑誌『ニュー・リパブリック』の若き記者ステファン・グラスは、売れっ子になるために記事をねつ造していたが、誰も気づかなかった。グラスを信用していたという側面もあるが、入稿された記事を印刷前に二重チェックするのは不可能なのだ。

どの仕事にも同じことが言える。後工程で、前工程のミスを見つけ出すのは至難の業だ。
たとえば、お弁当を作っちゃってから、材料や調理に問題がなかったかを検証することは、不可能ではないが、膨大な手間がかかる。実際に食べてみるしかないからだ。
仮に、完璧なチェックができるとしたら、前工程はミスをなくす努力をしなくなる。適当な作業で後工程にまわして、エラーで返ってきたものだけ対処すればいいからだ。
やがてチェック装置のチェック装置が必要になって、責任の所在もあいまいになる。馬鹿らしい。作業に携わる人たちの誠意が疑われる状況で、チェック装置を充実させても意味はない

それはそうと第三者はどうやって選ぶのだろう? いずれにせよ、この第三者機関は、警察も検察も凌駕する最強の権力機関になるだろう。なんのことはない。いまの検察が名前を変えるだけか。

■検察捜査に第三者の検証機関...法相が設置検討
(読売新聞 - 10月02日 22:03)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1361383&media_id=20