シドニアの騎士 あいつむぐほし Knights of Sidonia: Ai Tsumugu Hoshi

2021年 アニメ 3ツ星 SF SF:ファーストコンタクト SF:新人類 ロボット 戦争

第3期、第4期が欲しかった! そして...

原作の後半を2時間の映画で駆け抜けてしまった。身長差15mの恋ばかりクローズアップされ、シドニアが守るべき人類種とはなにか? という問いかけが霧散してしまった。もったいない。

新世代の操縦士(山野稲汰郎、浜形浬、端根色葉、半間乙希)

冒頭から登場したのでキーパーソンと思ったが、脇役だった。谷風の仮想訓練からはじまる慣例を外したかったようだが、外したことで混乱が生じたし、谷風が遠い存在になってしまった。

稲汰郎は姉がガウナに捕食されたことでイジメを受けたと言うが、彼女は地元の星で、盛大に弔われたはず。その後は戦争が激化したから、いじめがあったとは思えない。
姉を模したガウナを姉の仇と憎む心理もわからない。エナ星白→白羽衣つむぎの転換を稲汰郎が知っていたら、どう対応しただろう?

緑川纈と科戸瀬イザナ

関係変化が急! このあたり漫画は丁寧に思いを描いていた。
纈の分化は驚いた。そう来たか。シドニアは人類種の播種を目的とするが、亜人種化がどんどん進んでいく。

白羽衣つむぎ

培養槽でも涙を流し、赤面すると高熱を放射する。あざといが、徹底しているのがよい。原作も記号描写を躊躇していなかった。
なので身長差15mを克服してしまったのは、いささか拍子抜け。あのままセックスして、第2世代を産んでほしかった。

新生つむぎにガウナの要素は残ってないようだが、長道は生まれつきの不死で、その形質は遺伝する。すると長閑も不死で、その子孫も不死。個体が死なないまま増殖すれば、人間という種が変質するのは避けられない。その恐れから不死者(谷風、小林艦長ら)は残留したのだろうか? ちゃんと言及してほしかった。

谷風長道

すっかり安定しちゃって、主人公としての原動力がなくなった。つむぎとの恋路も障害がない。というか、成長したということは、生まれながらの不死という設定は「なかったこと」にされたのか?

谷風が誠実な人柄だったから、ハッピーエンドを迎えることができた。たとえば岐神海苔夫がシドニア防衛に出征できたのは、谷風の言葉があったから。このあたりは強調してほしかった。

岐神海苔夫

いやなやつだが、郷土愛に偽りはなかった。感謝も悔恨もあった。ちゃんと言及されているが、物足りない。原作もそれほど掘り下げていないが、整理すれば「もう1人の主人公」になれたはず。

小林艦長

美しい容姿とユーモラスな性格から好感をもたれるが、やってることは独裁者。主戦論を唱え、障害となる「不死の船員会」を粛清した。小林艦長が正しいと思えるほどの説明はなかった。

小林艦長(人類種の保全、ただし自分に賛同する者のみ)
斉藤ヒロキ(世代交代を是認)
科学者・落合(人類種を切り捨て)
ヒ山ララァ(理想的な全人類の救済)

この4人が異なる道を選んだことは、本作のキモだと思う。
ところで小林艦長は仮面を外し、不死者であることを周知したようだが、どんな反発と和解があったのだろう? テルル救出作戦で立場を失った非武装主義者たちの反応を見てみたい。

科学者・落合

シドニアを救った英雄の側面は削られ、単純なマッドサイエンティストになってしまった。人類に絶望しても、わざわざ滅ぼす必要はない。ましてや愛したララアが住むところを、なぜ破壊するのか? 邪悪ではなく、いかれてるように見える。身体改造主義者だったから、少しずつ人間性を失っていったと思われるが、その変遷も見たかった。

落合の技術力がなければ、シドニアは惑星セブンに到達できなかった。いっぽうで新技術の投入によってガウナが進化した可能性もある。落合は英雄であり災禍の元凶。必要だが嫌悪される。人間の業そのもの。

科戸瀬ユレ

落合の対になるキャラクター。彼女が確立した技術は、人類種の在りようを変えてしまうが、だれも注意を払わない。原作でもスルー。守るべき人類種とはなにかを問うのだから、だれか言及してほしかった。

田寛ヌミ

原作ではシドニア血線虫によって拳銃自殺を遂げているが、劇場版では生死不明。そこそこ目立つおっぱいだったから、気になってしまう。

岐神海蘊

原作では再生されるが、劇場版は不明。岐神との関係がどう変化するのか見たかった。

ガウナ

劇場版の科学者・落合はガウナと対話できるといい、宇宙の記憶装置といっていたが、意味不明。宇宙人との対話に成功すると、人間と対話できなくなるパターン。原作より踏み込んでいるけど、物足りない。

まぁ、原作に壮大なテーマがあったとは思えない。先のことは考えず描きはじめ、徐々に世界観が整っていったのだろう。「人類種とはなにか?」をテーマに掲げたわけではないが、結果的にそう読めてしまうのは、原作者のSFマインドが漏れ出たせいだろう。

原作の完結前にアニメがスタートしたから、アニメのスタッフも全体を俯瞰することはできなかったかもしれない。劇場版『あいつむぐほし』は申し分ない出来栄えだが、アニメ第3期があれば、もっと多くの要素をじっくり消化できたはず。なぜ劇場版で一気に消費してしまったのか? もったいない。


弐瓶 勉