なぜニートは駄目なのか?
2007年 政治・経済 教育 社会なぜニートは駄目なのか、納得できずにいる。
「ニート」とは「働いていないもの」を示す言葉だが、日本では「働く意欲がないもの」という意味が強い。転じて、引きこもりや積極性がないものを指す言葉として多用されている。
マスコミの偏向報道のおかげだ。
「精神的に弱い人たち」という意味なら、駄目なのもわかる。
しかし働かないことは、そんなに悪いことだろうか?
あくせく働かずとも食べていけるなら、素晴らしいじゃないか!
◎
高度経済成長期。私たちの祖父や父は、たくさん働いた。
自分の子や孫に豊かな未来を託すため、精いっぱい汗を流し、知恵を絞ってくれた。その結果、働かずとも食べていける現在があるなら、望みが叶ったことになる。
不況で失業率が高まっても、餓死者は増えなかった。
これは豊かさを示す証左ではないか?
もちろん、なにもしないことが素晴らしいわけじゃない。
働かなくても食べていける環境があるなら、それ相応の「なにか」を成し遂げるべきだ。社会的な価値があることでも、ないことでもいい。
働かなくても食べていける環境=豊かさではない。
若さ、お金、心身、才能、時間。
そうしたものを思うように使えることが、豊かさだと思う。
◎
国は、ニートの救済政策を打ち出している。
つまり若い労働力を遊ばせず、ちゃんと税金を納められるように再教育・再訓練しようというわけだ。
「救済」といえば聞こえはいいが、本質はその逆だ。
「おまえらは国のお荷物だ。
遊ばせておいても、ろくなことはしないだろう。
だったら働いて、税金を納めろ。1円でも多く!」
すでに国は、引退した老人を働かせようとしている。
その一方で、まったく働けない身障者への支給は減らしている。要するに働く(納税する)ものは素晴らしく、そうでないものは駄目なのだ。
◎
──これからどうなるだろう?
なるったけ若いころから社会に出て(成人して)、死ぬまで働きつづけるもの(引退しない)が美徳となるだろう。そして、それ以外(ニートや引退者、身障者)への蔑視は深まるだろう。
あぁ、素晴らしきは労働かな! 労働者万歳!
あほか!!