[アニメ] アムロ・レイ / 戦う理由のない主人公

2008年 娯楽 アニメ 考察
[アニメ] アムロ・レイ / 戦う理由のない主人公

 突然だが、『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイについて語る。

 アムロは戦う理由のない主人公だった。そして『機動戦士ガンダム』は、戦う理由を探す物語だったと思う。

戦う理由を見つけられない主人公

 アムロは戦争に巻き込まれた民間人なので、思想もなければ、責任もない。ただパイロットとして優秀だったため、コクピットに押し込められる。戦果をあげると自意識過剰になり、ガンダムを盗んだり、シャアに対抗意識を燃やすが、依然として戦う理由はなかった。
 一方、ホワイトベースの仲間たちは、物語が進むにつれて戦う理由を見いだしていく。なのにアムロだけは見つけられない(見つけてもすぐ失う)。そのくせ戦闘能力だけは高まっていく。

強すぎて孤立する

 フラウ・ボウとの関係変化も見逃せない。かつてアムロはフラウを守るために戦った。フラウに勇気づけられて、戦線復帰したこともある。しかし宇宙に出るころには、ふたりとも疎遠になっていた。劇中、負傷したハヤトが、アムロに負けて悔しいと嘆くシーンがあるのだが、これに対しフラウは「あの人は特別だから」と切り捨てる。そりゃないよ~。
 望まれて強くなったのに、強くなりすぎて孤立する。そんなアムロの前にあらわれた理解者が、ララァだった。

不自然な主人公

 ララァは、アムロの根源的な欠落をズバリ指摘する。

ラ「私には見える。あなたには故郷もなければ家族もないわ。人を愛してもいない……」
ア「だから、だからってどうだっていうんだよ!
  守るべきものがなくて戦ってはいけないのか?」
「それは不自然なのよ」

 不自然ってのは強烈だった。不自然な悪を、自然に根ざした善が打ち破るのがセオリーだったからね。ところがガンダムでは、戦う理由も信念も、愛情さえ、シャア(悪)に集中している。アムロ(善)は空っぽ。それなのに強い。不自然きわまりない。
 余談だが、恋人を殺され、アムロに圧倒されたシャアは、仮面の下で涙を流す。自信家のシャアがはじめて弱気になった瞬間だ。こいつの方がよっぽど主人公だよ。

戦う理由なんていらないと気づくまで

 ソロモン以降、アムロはシャアを逆恨みすることで自分を駆り立てる。だがそれも、ララァ(の思念)によって仲裁される。最後の最後まで戦う理由がない主人公だった。
 ガンダムを破壊され、シャアを見失い、やることがなくなったアムロは、ホワイトベースの仲間たちを脱出させようとする。そして最後の最後の最後で、自分の帰還を求める声を聞く。

「ぼくにはまだ帰れるところがあるんだ。
 こんなに嬉しいことはない……。
 わかってくれるよね、ララァにはいつでも会いにいけるから……」

 無理して戦う必要はない。戦う理由があるより、戦う理由がない方が幸せなのだ。このエンディングを、私はそう解釈した。ここで私のガンダムは終わった

戦う理由ある主人公はつまらん

 宇宙世紀0080年以降もアムロは戦いつづけるが、それは別の話。不自然というより、不気味。私は『機動戦士ガンダム』は好きだが、ガンダムシリーズが好きなわけではない。
 そして『機動戦士ガンダムSEED』。キラ・ヤマトも戦う理由はないが、後半は悟りを開いてしまうので興ざめ。戦う理由があるなら戦えばいい。というわけで、「これ(SEED)は私が愛したガンダムではない」と言ったのである。

 以上が、質問の答えだ。