アンチヒーローの台頭

2008年 娯楽 アニメ 特撮 考察
アンチヒーローの台頭

 なんだか正義の価値が減ってきたような気がする。

 たとえば、娯楽作品における悪人の位置づけを見てみよう。娯楽作品には悪人がつきものだが、たいていは打ち倒すべき敵として登場する。『機動戦士ガンダム』のシャアのように、主人公以上の人気を博するキャラもいたが、それでも悪人=敵だった。

 悪人を、悪人のまま主人公に据えるのは不可能だった。『ルパン三世』のルパンは、登場当初は冷酷非道な殺人鬼だったが、シリーズを重ねるごとに丸くなり、『カリオストロの城』ではすっかり善人になってしまった。『ゴルゴ13』のデューク東郷も自発的に悪を行うわけではなく、善悪は依頼人次第だった。鉄人28号に近い。

 やがて悪人は、主人公サイドに近づいてくる。『鳥人戦隊ジェットマン』の結城 凱(ブラックコンドル)はタバコをふかし、恫喝や暴力をいとわぬチンピラである。しかしリーダー不在のときはチームを率いたり、敵幹部との友情も示した。なんのかんの言っても根っからの悪人ではない。だから、悪人だけど正義の味方になれた。

 さらに時代は流れ、本物の悪人が登場する。『仮面ライダー龍騎』に登場する浅倉威(仮面ライダー王蛇)は、連続殺人犯だった。どうしようもない暴力中毒者で、なんの理由もなく人を殺してまわる。劇中でも実の弟を殺している。そんな悪人をかっこよく、ユーモラスに描くのは新鮮だったが、子どもの教育にはよくなさそうなキャラだった。

 そしてついに、本物の悪人が主人公になってしまう。『DEATH NOTE』の夜神月、『コードギアス』のルルーシュは、誰がどう見ても悪人である。たいそうなご託を並べても、やってることは大量殺人であり、テロリズムだ。『羊たちの沈黙』のレクター博士なんか食人鬼だ。にもかかわらず彼らはヒーローとして描かれている

 『コードギアス』を検証してみよう。
 この作品では善悪が入れ替わっている。悪人のルルーシュが主人公で、善人のスザクがライバルなのだ。シャアを主人公にした『ガンダム』のようだ。
 しかもスザク(善人)は悲しいほど人気がない。必死に正義を貫いているのに、卑怯だの、偽善だのと中傷されている。正義も地に落ちたもんだ。

 今のところ、悪人は悲惨な末路を迎えることになっている。
 だが、「お約束」がずっと守られるとはかぎらない。(自由な)悪人が、(不自由な)正義を打ち倒し、そのままハッピーエンドを迎えるドラマが出てくるかもしれない。
 そんなドラマを見て育った子どもたちは、正義をどう考えるだろう?

(正義なんて、もう古い。
 正義なんて、役に立たない。
 弱肉強食の時代を生きていくのに必要なのは、悪の精神だ。
 ぼくは悪を辞さない。悪を恐れない。悪をためらわない!)

 想像すると、なかなか怖い話だ。

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