リトルプリンス 星の王子さまと私 The Little Prince

2015年 外国映画 3ツ星 ファンタジー:童話

価値のない後日談

9歳の少女の視点で描かれる「星の王子さま」の後日談。少女の隣に住む老人は、むかし星の王子さまと出逢って、別れた、あの飛行士だった。ダイジェストで語られる過去──「星の王子さま」の本編はおもしろい。薔薇とのすれ違いや、キツネに諭されるシーンはしみる。
しかし後日談パートは物足りない。

キャラクターが薄っぺらい

母親 ... 愛情と教育は矛盾しない

この家には父親も祖父母もいない。友達も、近所の人も出てこない。母親は社会的成功を収めているようだが、孤独な印象を拭えない。そんな母親が、工業製品を作るようなスケジュールで娘に勉強を強いるのは、なぜなのか? 母親が貧乏なら、「自分と同じ苦労をさせたくない」という気持ちを察するが、十分稼いでいるから、「自分と同じ道を歩ませたい」と思っているのだろうか? つまり母親は、いまの自分をベストと考えているわけだ。だとしたら根が深い。まぁ、娘の面接シーンを見ると、社会も歪んでいそう。こうなると、母親がまちがっているともいえない。
最後に和解するが、つまり母親は教育ママを卒業したのだろうか? 今さら「適度な強制」に切り替えられるんだろうか? となりの老人だけじゃ、娘の社交性が向上しないだろうが、そもそも母親にそんな教育ができるんだろうか?

老人(飛行士) ... 無力で無欠の存在

老人は優しくて、物知りで、娘の気持ちをわかってくれる。「理想の父親」といってもいい存在だが、母親に「娘さんの教育について言いたいことがある」と談判するわけでもない。完全無欠の存在だが、まったくの無力だ。彼は王子との出会いによって世界を見る目が変わったはずだが、成長の痕跡はうかがえない。人生の落伍者となって、年老いて、星の世界(死)に魅了されているようだ。私が親なら、娘に近づいてほしくないタイプの人間だ。

王子 ... 孤独の星へ

つまらない大人になったミスター・プリンスはおもしろかった。原著「星の王子さまの教訓は吹っ飛んだが、これはこれでいいだろう。
少女の冒険によってミスター・プリンスは子供の心を思い出し、自分の星に帰る。いい話に見えるが、ぶっちゃけ、成長の拒絶にしか見えない。社会はきみを特別扱いしてくれない。だからきみが変わるか、社会を変えるしかない。逃げて、引きこもるのはダメだ。

薔薇は枯れて、老人は生き残る

薔薇が枯れたのは納得できない。
あの薔薇が枯れるはずがない。何百年経とうと、バオバブの木に挟まれようとも! そもそも王子さまは、薔薇が待ってくるから自分の星に帰ったのだ。薔薇がいるから、王子は孤独じゃない。その薔薇が枯れてしまったなら、もう自分の星にいる理由もない。枯れたとしても、王子の帰還で復活すべきだった。
「大切なものは目に見えない。薔薇が枯れても、心の薔薇は咲いている」などと、わかったようなことは言う人は、目を閉じて生きればいい。あの薔薇は、枯れてはいけなかった。

一方で、老人は死んでもよかった。老人が死んでも、目をつむれば王子さまと話している姿が見えるだろう。むしろ死ぬことで、娘に大切なことを教えられただろうに。
なぜ薔薇を枯らし、老人を生かしたのか?
私には理解しがたいセンスだ。

映像はよかった。CGアニメとストップモーションを組み合わせたのは不可解だが、悪くはない。
ただ、そこから得られる感動はすべて、「星の王子さま」本編に基づくものだった。

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