もったいない話
2008年 社会 デジタル 日常友人Eは、趣味のサイトをもっている。
とある玩具に関する情報サイトで、彼ほど長く、広く、深く極めた者はいない。メーカーの人より詳しいのだから、どれほど情熱を注いで収集/研究してきたかうかがい知れる。その世界における第一人者というわけだ。
しかし彼のサイトはへぼい。読みにくく、使いにくく、探しにくい。Eの趣味は玩具の収集/研究であり、サイト運用は片手間なのだ。にもかかわらずアクセス数は多い。日本全国の愛好者が、彼の情報更新を待っている。彼の域に達したサイトはほかにないわけだ。
Eのサイトは使いにくいが、手抜きではない。玩具1つずつを丁寧に写真撮影し、細かなコメントを載せている。希少な玩具も取り扱っているので、情報価値は高い。ただ、そのフォーマットが揃っていないので、データが活きていないのだ。
私はサイト構築、制作、運用のプロである。これまで数多くの企業サイトを手がけてきたし、ノウハウも有している。だから言いたいことはいっぱいある。これだけデータがあるのだから、枠組みを整理すればもっと素晴らしいサイトになるのに!
「素晴らしいサイトって、どんな?」とEは訊ねる。
Eはすでに十分な評価とアクセス数を稼いでおり、満足している。これ以上アクセスを増やせば、馬鹿な連中がわいてきて、掲示板が荒れてしまう。使いにくいことは認めるが、使いたい人は我慢して使っているし、我慢できない人は相手にしないので、なんの問題もないというのだ。
私は言葉に詰まった。
さすがのEも、サイト更新にかかる手間は減らしたい。新しい技術を導入すれば、更新の手間は減り、サイトもきれいになる。しかし繰り返しになるが、Eの趣味は玩具の収集/研究なので、ブログやソフトウェアの使い方を覚えるのはおっくうだ。「このソフトを使えば楽になる」とわかっても、「使い方を覚えるくらいなら、面倒でも悩まない方法でやってしまう」というパターンが繰り返されている。
私がEのサイト運用を肩代わりするというアイデアもある。しかしEのサイトは巨大なので、金をもらわないとやってられない。それに……友人の領域に入りたくない。私も同じ趣味ならいいけど、そうではない。好きでもないことにボランティア参加するのは間違っている。
モッタイナイとは思うが、どうしようもない。
結局、「クチを挟んでも、手は出さない」ということに落ち着いた。