恋愛における「一撃必殺」
2012年 哲学 男と女喧嘩に不慣れな人は、手加減できず、やりすぎてしまうらしい。
「やりすぎ」とは、相手を殺したり、重篤な後遺症を残すような事態のこと。そうした結果もやむなしとする総力戦もあるが、現代社会ではごくまれだ。
喧嘩する以上、全力で戦うのは当たり前だ。なので、「これは禁じ手だ」と手段を選んだり、「これで十分だろう」と矛を収めるのは、かなり難しい。
私自身、喧嘩した回数は数えるほどしかないが、やはり手加減はできなかった。
恋愛における「やりすぎ」を恐れる友人
友人と飲んだとき、恋愛の話になった。
彼は恋愛に不慣れなため、やりすぎてしまうことを恐れていた。
「やりすぎ」とは、相手の拒絶に気づかなかったり、ストーカーとして訴えられることだ。そうした結果もやむなしとする総力戦は……ないな。
恋愛する以上、全力でアタックするのは当たり前だ。なので、「これは禁じ手だ」と手段を選んだり、「これは脈なし」と撤収判断するのは、かなり難しい。
私自身、恋愛した回数は数えるほどしかないが……いや、よそう。
飲まずに話せるネタじゃない。
その友人は、なぜか恋愛と武道をからめて考えていた。
恋愛は、生き死にをかけた戦いであり、絶対に負けられないのだ。
なにが負けなのか?
それは警察沙汰になることだった。本気になったら、「あなたのことがきらいです!」と言われたくらいじゃ引き下がれない。約束をはぐらかされても、贈り物を断られても、「あなたのことが好きです」と言ってくれるまでアタックをやめない。やめられない。
近年はセクハラやストーカーが社会問題になったため、油断してると抹殺されてしまう。ゆえに、「一撃必殺」がほしいと言う。
一撃で倒せば、反撃はない
一撃必殺──。
武道の世界では、ただ一打で相手を殺すという考え方がある。実際にそういう技(=必殺技)がある流派もあるが、多くの場合、そういう気概で攻撃を当てろと言う思想である。
しかしもし、一撃必殺があったなら?
たぶん、隠しておくはず。技の存在が知られたら工夫され、一撃必殺でなくなってしまうから。ひょっとしたら、自分の知らないところに一撃必殺があるのかもしれない。
……と妄想するのが、一撃必殺信仰である。UFOと同じくらい反証不可能だ。
「女性のハートを射止めた男性は、その技を知っているはずです。
ヒラさんは結婚してるから、ご存じでしょう。
その技をご教授いただきたい!」
むぅ、そういう考え方もあるのか。
私は唖然とするとともに、この珍妙な発想を採取できた喜びに打ち震えた。世の中は広い。こんな発想、200歳まで生きても思いつかなかっただろう。
恋愛に「一撃必殺」はあるのか?
戦闘における一撃必殺はパンチやキック、バックドロップではなく、拳銃だ。恋愛の一撃必殺も、それに類する卑怯な手口になるだろう。知っていても、おすすめできない。
私は考えて、述べた。
「いやいや、恋愛は多撃必倒だよ。
撃って、撃って、撃ちまくるだけ。
一撃必殺は結果であって、目的じゃない」
「それで警察に捕まったら、どうするんです?」
「やめればいいじゃん」
「え?」
「今はストーカー防止法があるんだから、
警察に止められないかぎり、まだオッケーってことなんだよ」
「なるほど!」
納得してもらえたようだが、これでよかったのだろうか。
なにか根本的なところがまちがっているように思うのだが、うまく指摘できなかった。