[報道・教養] "つながり"はいつもバーチャル | [TED] エリック・ウィテカー「2000の歌声でつくるバーチャル合唱団」

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[報道・教養] "つながり"はいつもバーチャル | [TED] エリック・ウィテカー「2000の歌声でつくるバーチャル合唱団」

 TEDの、エリック・ウィテカー「バーチャル合唱団2000人の声」というプレゼンがおもしろかった。

 TEDを知らない人は、まぁ、各自で調べてくれ。わずか14分35秒のプレゼンで、日本語字幕もつくから、時間があれば見てほしい。

要約

 エリック・ウィテカーはポップスターになりたかったけど、合唱の素晴らしさに衝撃を受け、作曲と指揮を学びはじめた。
 ある日、エリックはYouTubeに投稿されたファンビデオを見かける。少女が、自分の作った曲のソプラノパートを歌っていた。エリックはひらめく。これと同じようなビデオが50人分あれば──ソプラノ、アルト、テノール、バス、それぞれのパートを歌ってYouTubeに投稿すれば──ヴァーチャル合唱団ができるぞ!
 エリックは、自分が指揮棒を振る動画をアップロードして、これに合わせて歌ってくれる投稿を募集したところ、185名の応募があった。こうして第1弾「Lux Aurumque」が完成、好評を得た。

Eric Whitacre's Virtual Choir - 'Lux Aurumque' - YouTube

 すると第2弾を求める声が高まった。「Sleep」という曲で募集したところ、世界58ヵ国から2051人の投稿があった。

Eric Whitacre - Eric Whitacre's Virtual Choir 2.0, 'Sleep' - YouTube

 合唱に参加してくれた人たちは、離れて暮らす姉妹だったり、僻地に住んでいて、おまえには無理だと言われた人だったりした。人々はつながるために努力するし、実際につながることができる。エリックにとってヴァーチャル合唱団は友だちであり、家族となった。

合唱の喜びとは?

 ばらばらの場所、ばらばらの時間、ばらばらの人たちによって収録された歌声が、1つの合唱になる。その歌声は美しいだけでなく、神々しくもある。言葉にならない感動があった。エリックが若いころに受けた合唱の衝撃も、こういうものだったのかもしれない。

 合唱の喜びって、なんだろう? たくさんの人がいっしょに歌っているだけだが、そのためにはリズムを合わせ、ヴィジョンを共有する必要がある。たくさんのスピーカーからいろんな音が出ているのとはちがう。合唱は、人々の「つながり」を実感できる音楽と言えるかもしれない。

 私は合唱の意味をわかっていなかったから、合唱曲を聴いてもさしたる感慨もなかった。皮肉なことに、ヴァーチャル合唱団によって意味を理解できた。

あやふやな実感

 合唱の喜びが周囲との一体感だとすれば、ヴァーチャル合唱団にそれはない。みんな、歌うときは独りだからだ。
 動画をアップロードして、編集を待って、完成した作品の長い長いクレジットの中に自分の名前を見つけたとき、ようやく「合唱に参加できた」と理解できる。そんなことが、楽しいのか?

 人数が多いから、動画から自分の声を聞き分けることはできない。また聞き分けられるようなら、合唱できていないことになる。合唱は、大きなものの、識別できない一部になること。スーラの点描画のように、1つ1つの点に個性があってはならない。
 よって、クレジットに名前があっても、じつは音声が入っていなかった可能性もある。すると、「合唱に参加した」という感覚は、まやかしになる。それでも楽しいのか?

ヴァーチャルでない「つながり」はあるか

 合唱しない私にわかるとは言えないが、たぶん、楽しいんだろうな。
 もともと「つながり」なんて個々人の思い込みだ。相手の姿が見えて、体温や息づかいを感じられて、言葉が通じて、長いこと語り明かして、セックスしても、確実とは言えない。大事なのは物理的な接触ではなく、思い込みだ。
 そして合唱は、思い込みを共有できる1つの手段だった。だから合唱に参加していない私も、「つながり」を感じてしまうのだ。

 合唱すれば、世の中が平和になるわけじゃない。
 合唱団を家族のように感じても、金を貸してくれるわけじゃない。

 それでも、合唱はいいものだなと思った。

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