家事ハラの背景を考えてみた

2014年 社会 男と女 社会
家事ハラの背景を考えてみた

 「家事ハラ」の紹介動画がおもしろかった。

 旭化成ホームズの「共働き家族研究所」は、夫の家事協力に対する妻のダメ出し行為を「家事ハラ」と定義し、当事者へのアンケート調査を行った。これはその事例を、再現ドラマ風に紹介したものである。

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 この手の話はネットにあふれているが、大多数は妻の視点で「怒り」を述べたものだ。本作は夫の視点で「悲しみ」を描いた点で新しい。怒りに共感したり(そうそう、あるある)、反駁する(それは甘え、やりすぎ)より、「悲しみ」から我が身を振り返り、原因を考察するほうが建設的かもしれない。

 アンケートでは夫の7割が家事ハラを経験したそうだが、この数字に意味はないだろう。家庭のトラブルは、それが一般的かどうかではなく、両性が解決したいと思うかどうかで取り組むべきだからだ。だから相談が虚しい場合がある。

 また家事ハラは妻→夫へのダメ出しと定義されているが、夫→妻へのダメ出しもあるはず。「妻の手際の悪さに苛立つ夫」「夫の言葉でやる気を失う妻」なんてのも、珍しいことじゃない。なので原因は性差(ジェンダー)ではなく、コミュニケーション不足と言える。「妻はこういうもの」「夫はこういうもの」という思い込みが悪いのではなく、それが共有されていないことが原因だ。

 同じような現象は職場でも見かける。「部下の手際の悪さに苛立つ上司」「上司の言葉でやる気を失う部下」と置き換えればわかりやすい。上司は、「そうしたストレスを跳ね除けて仕事をおぼえた」という自負があるから、いちいち傷つく部下に気づかないか、気づいても無視する。

 こうして効率が悪くなったとき、だれが困るのか? 上司が部下を取り換えられるなら、部下がすぐ転職できるなら、伴侶を取り換えたり、浮気でごまかせるなら、困らない。しかしそうでないなら、向き合うしかない。この「向き合う」ってのが難しいのだろう。

 問題があったらすぐ捨てる文化の人は、わざわざ向き合わない。
 自分にぴったり合うものを選んでいる時も、じつは向き合っていない。

 選んだものを取り替えられないとき、相手の失敗で自分が困るとき、はじめて向き合うことになる。そう考えると、向き合って、さらけ出して、つきつめて、妥協することに、私たちはあまり慣れてないのかもしれない。

 ・・・なんてことを考えた。