ライトが点くかどうかに固執する脳
2014年 哲学 男と女 車神経生物学的には、男女で脳にちがいはないそうだ。
厳密に言うと、女性の脳には月経を司る部位があって男性にはないし、重さも異なる。しかし知的能力に差はなく、男は数学に強く、女はながら行動が得意といった話に根拠はないそうだ。もちろん知的能力は均一ではなく、それは教育や習慣によって変わる。生まれより育ち、というわけだ。
さて、こんな小話がある。
女『車のエンジンがかからないの...』
男『あらら?バッテリーかな?ライトは点く?』
女『昨日まではちゃんと動いてたのに。なんでいきなり動かなくなっちゃうんだろう。』
男『トラブルって怖いよね。で、バッテリーかどうか知りたいんだけどライトは点く?』
女『今日は○○まで行かなきゃならないから車使えないと困るのに』
男『それは困ったね。どう?ライトは点く?』
女『前に乗ってた車はこんな事無かったのに。こんなのに買い替えなきゃよかった。』
男『...ライトは点く?点かない?』
女『○時に約束だからまだ時間あるけどこのままじゃ困る。』
男『そうだね。で、ライトはどうかな?点くかな?』
女『え?ごめんよく聞こえなかった』
男『あ、えーと、、ライトは点くかな?』
女『何で?』
男『あ、えーと、エンジン掛からないんだよね?バッテリーがあがってるかも知れないから』
女『何の?』
男『え?』
女『ん?』
男『車のバッテリーがあがってるかどうか知りたいから、ライト点けてみてくれないかな?』
女『別にいいけど。でもバッテリーあがってたらライト点かないよね?』
男『いや、だから。それを知りたいからライト点けてみて欲しいんだけど。』
女『もしかしてちょっと怒ってる?』
男『いや別に怒ってはないけど?』
女『怒ってるじゃん。何で怒ってるの?』
男『だから怒ってないです』
女『何か悪いこと言いました?言ってくれれば謝りますけど?』
男『大丈夫だから。怒ってないから。大丈夫、大丈夫だから』
女『何が大丈夫なの?』
男『バッテリーの話だったよね?』
女『車でしょ?』
男『ああそう車の話だった』
視点1.女は共感ばかり求めて、秩序だった考えができない。
と、私は思った。嫁も同じだった。まぁ、多くの人がそう感じるんじゃないかな。
しかしそれが「正解」というわけではない。
視点2.女は遠回しに「車で迎えにきて」と頼んでいるのに、鈍感な男は気づかない。
その視点はなかった。まったくなかった!
女性は、男性から助けてあげると言ってほしいのだ。なのにバッテリーとかライトにこだわって、言ってほしいことを言わない。だから困惑している。うおおお。気づかなかった。
助けたくないわけじゃない。助けるにしても、まずは状況確認だろう。しかし「ライトが点くかどうか」に固執して先に進めないのは馬鹿だった。
たぶん、「車を出すよ! 安心して」と約束してから、「ライトは点く?」と訊けば、スムースだったんだろう。それが正解とは思わないけどね。
そういえば昔、深夜に女友達から電話があって、「飲みたいから出てきて」と言われたことがある。私が「どこで飲んでるの?」と聞いても、「わからない」の一点張り。なので断ってしまった。
あれは、「うん、行くよ!」と答えて、電車に乗って、少しずつヒントをもらって、見つければよかったんだ。いやぁ、気づかなかった。気づいても、やらなかったと思うけど。
視点3.なぜ男は手を貸さないのか?
掲示板には、
「道端でエンストして困ってる女と、偶然通りかかった男との会話だと思っていた」
という書き込みがあって、アスペと揶揄されていた。
この視点もなかった。
たしかに文中には、男と女が電話してるとも、親しい仲とも書いてない。書いてないが、そのくらいは想像できる。想像したことを、確定事項と考えていた。これまた思いつかなかった。
この話は、クライアントと下請けに置き換えることもできる。問題を解決したい気持ちはいっしょでも、考え方がちがって食い違っていく。よくある話だ。
なにが正解かはべつにして、相手の考え方を推察するのは大事なことだ。
思い込みって怖いなぁ。