[PAYDAY2] ゲームで学ぶ暴力の現実

2015年 娯楽 ゲーム
[PAYDAY2] ゲームで学ぶ暴力の現実

 ゲーム仲間から「PAYDAY2の日記を書いて」とリクエストされたので、ちょっと書いてみる。

 「PAYDAY2」は4人組の強盗になって、銀行や美術館などを襲撃するゲームである。きわめて暴力的だが、「子どもの情操教育にいいかもしれない」と思うようになった。
★たとえば強盗が人質をどう扱うか、である。

 強盗していると、通りすがりの民間人に目撃されることがある。放っておくと悲鳴をあげられ、通報されてしまうが、射殺するとクリーニングコスト(揉み消し代)を請求される。なのでケーブルタイで拘束し、だれにも見つからない路地裏などに誘導する。ものすごい手間だが、こうしたストレスがゲームを魅力的にしている。
 強盗もリスクを避けるため、路地裏などで作業してるから、そんなところにやってくる民間人の気が知れない。周囲に人がいなければ、殺すも拘束するも自在なのだから。
★なんの用事もなく、人気のないところを歩いてはいけない。

 民間人殺害にペナルティが課せられるのは、銃撃戦になった場合も同じ。パニックを起こした民間人は無秩序に走り回ったり、棒立ちになるから、うっかり自分の弾が当たらぬよう、伏せさせ、ケーブルタイで拘束し、安全な場所に誘導する。しかるに警察は、人質がいても気にせず突入し、気にせず発砲するから怖い。警察はきっと、「コラテラル・ダメージ」と発表するだろう。
★警察などの公権力が、いかなる場合も弱者の味方と思ってはいけない。

 強盗団は犠牲者が出ないよう注意するが、これも絶対ではない。たとえば堅牢な大銀行に押し入る場合は、合鍵やスパイカメラ、特殊な工具、逃走ルートなどを手配する。これらの費用は先払いなので、仕事に失敗すると赤字になる。
 数百万ドルも仕込んだ「大仕事」で、失敗は許されない。そんなとき民間人に出くわせば、迷わず射殺する。生きた人間を誘導するより、死体を運ぶほうが安全だからだ。COOPの場合、「仲間に迷惑をかけたくない」という心理も働く。
★緊張感の高い仕事では、余裕もやさしさもなくなる。

 さらにゲームを続け、何億ドルも稼いでしまうと、クリーニング・コストや仕込みの費用なんて、どうでもよくなる。プレイヤーは(ゲーム内の)お金や経験値のためではなく、「この条件でクリアしたい」というテーマのため、チャレンジを繰り返す。「民間人を一人も殺さない」というテーマを掲げた場合をのぞけば、障害物の除去に躊躇しない。犯罪者がつねに困窮しているとはかぎらないのだ。
★犯罪者の情に訴えたり、説得してどうこうなると思ったら、大間違い。

 「PAYDAY2」では民間人だけでなく、警官やSWAT隊員を降伏させ、拘束し、寝返らせることができる。寝返った敵は手駒として使えるが、銃撃戦が激しい場合、手の届かないところにいる場合、手駒にできる人数の上限に達している場合は、邪魔なので殺してしまう。
「降伏した敵を殺すなんて、ひどい!」
 とプレイヤー仲間に言われるが、非難されることはない。やむを得ない場合があることは、みな、わかっているのだ。
★降伏しても、殺されるときは殺される。


 なにが言いたいかというと、利害関係や道徳観念で、暴力を食い止めることはできないってこと。いまサヨクが「戦争反対」「話し合いで解決」とか叫んでいるけど、(擬似的でも)暴力をふるう側を体験すると、ナンセンスだなぁと思う。

 2004年9月、ロシアの中等学校がテロリストに占拠された(ベスラン学校占拠事件)。少年少女と保護者、1,181人が人質になり、体育館に集められた。このとき、13歳の少年が立ち上がって、「あなた方の要求には誰も応じない。われわれを殺してもなんの役にも立たない」と抗議したが、あっさり射殺された。

 この少年が、おとなしくしていたら助かったとは言えない。人質の運命は、暴力をふるうものによって決められる。気まぐれや、勘違いで殺されることもある。暴力で叶わない相手に、こうすれば勝てるという方法はない。そんな方法があれば、それが暴力として使われるからだ。

 「正義は勝つ」を描いたドラマやゲームばかりやってると、暴力のこわさを忘れてしまう。その方がずっと、教育のよくない気がする。

 そんなことを、ゲームをやりながら考えた。