攻略本のジレンマ
2005年 娯楽 ゲーム──前回、前々回のつづき。
ゲームを楽しむとき、攻略本をみるなと言われる。かつては私もそう信じ、情報を遮断してプレイしていた。
だが、多くのゲームには、行き詰まるところがある。考えて、考えて、考え抜いて、それでも解けないことがある。断腸の思いで、攻略本をみる。このとき、
「なるほど! そいつぁ気づかなかったぁ! てへ♪」
と感心する答えだったらいい。しかし多くの場合は、
「そんなのわかるかッ! ヒントくらい出せよ!」
と憤慨することが多い。バグの場合さえある。
絶対に解けないとは言わない。解ける人もいるだろう。私だって、何ヶ月も研究すれば解けるかもしれない。だが、そこまでの苦労を払う必要があるか? 悩むのは現実世界で十分だ。ゲームくらい、馬鹿になって楽しみたい。ゲームに求めるのは「リアリティ」であって、「リアル」じゃない。苦しみと徒労に満ちた時間を過ごすために、ゲームを買う人はいるか? いるかもしれないが、私はちがう。
◎
てなわけで、解けないときは友だちに相談する。
「まず○×を拾っておく。あとで戻れなくなるから多めにね。
それから最終ステージは回復できるから、予備は要らない。
最終ボスに☆□は効かないから、◇◇で対応。
◎◎を当てれば楽勝だよ♪」
そのとおりにやると、そのとおりに勝てる。なるほど、スマートだ。
だが、なにかがちがう! これはもう、作業なのだ。
◎
攻略本を見て、無駄をなくすか? 無駄を覚悟で、攻略本を伏せるか?
ずいぶん悩んだが、最近、わかってきた。
攻略本をどのように見るかも、ゲームの一部なのだと。