ガッチャマン クラウズのGALAXは実現できるか?

2014年 科技 Webサービス
ガッチャマン クラウズのGALAXは実現できるか?

 『ガッチャマン クラウズ』はじつに消化不良なアニメだった。

 あまり余裕がない中で作られたのだろう。止め絵の多用や総集編の挿入に苦労がしのばれる。ストーリーも散漫だった。実質11話しかないのに、前半は謎の怪物(MESS)、中盤はソーシャルネットワーク(GALAX)、後半は宇宙人(ベルク・カッツェ)と戦って、すべて中途半端に投げ出された。
 どれか1つで十分だろうに。クリエイターが小さなコップに思いの丈をぶちまけたみたいだ。

 このうち、GALAXのプロットは興味深かったので、メモを残しておく。

GALAX とは?

 GALAX は、天才プログラマーの累(るい)が開発したソーシャルネットワークサービス。「世界をアップデートするのはヒーローじゃない。僕らだ。」というキャッチコピーを掲げ、一般市民による社会の変革を目指している。
 GALAX は人工知能「総裁X」によって運営されており、すべてのユーザーと同時に対話で利用できる。ユーザーは「ギャラクター」と呼ばれる。

 GALAX はスマートフォンを介してパーソナルデータを収集し、問題を予測し、解決策を提案する。これらはユーザーの操作によらず自動で処理される。たとえば、法律のことで悩んでいると、見知らぬ弁護士に声をかけられる。困っている人と解決できる人を、GALAXがマッチングさせたのである。

 GALAX は広く普及しており、その信頼度は公共機関より高い。そのため役所や専門家に相談したり、自分で調べたり考えるより、GALAX の提案を受け入れるほうが効率的と考えられている。危機感をおぼえた政府やマスコミは、「GALAX 依存症」というレッテルを貼って警鐘を鳴らしているが、あまり効果はない。GALAX のユーザー(=ギャラクター)は警察や消防、自衛隊にも多く、有事の際は規定の指示系統より、GALAX の采配を優先する機運さえあった。

 累はヒーロー(特別な存在)を否定しているため、自分が GALAX の開発者として特別視されることをきらい、素性を隠している。一部の熱狂的なユーザーは、GALAX による革命を期待しているため、累がこれを調整している。現在の「総裁X」は倫理的な判断が弱いため、累という調整役が欠かせないが、いずれは「総裁X」と「ギャラクター」だけで運営されることが期待されている。

GALAX の問題点

 GALAX がやっていることは、高度な情報統制である。歴史上、独裁者は国民のためと信じて断行するが、いずれ失敗し、破滅している。ひょっとしたら成功例があるかもしれないが、成功すれば「統制したこと」も秘匿されるため、一般市民が知ることはない。

 GALAX はユーザーの利便性を提供することで、情報統制を受け入れさせている。ユーザーが自分の意志で選択したことだから、批判は当たらない。ユーザーに不利益をもたらすこともなかった。
 しかしGALAX が便利であればあるほど、ユーザーは物事を自分で判断できなくなり、システムに盲従するようになる。システムが悪意ある人に掌握されれば、社会は途方もないダメージを受けるだろう。

 劇中でも宇宙人に掌握されてしまったが、宇宙人の目的が単純な「荒らし」だったので、被害が長期化、固定化することはなかった。これほど魅力的な舞台で、これほど陳腐なトラブルは拍子抜けだった。

 ロボットによる人間の統治は是か非か?

 人類は為政者の暴走を防ぐため、民主主義を確立した。GALAX が完成したら、民主主義を越える社会体制になっていただろうか?
 私の興味はそこに尽きるが、ぜんぜん掘り下げられなかった。

 『新世紀エヴァンゲリオン』のMAGIシステムも有能だったが、その用途は行政レベルにとどまり、人類の未来を左右するような決定権はなかった。あくまでも道具だ。
 ロボット(人工知能)による人間の統治について考察した作家といえば、アイザック・アシモフであろう。『われはロボット』の『証拠』にはじまる研究は、「答えがない」という結論にたどり着いた。
 『マトリックス・レボリューションズ』(2003)の決着もおもしろかった。完全な機械が、不完全な人間に譲歩し、さらなる安定を得る。説明が足りず、わかりにくかったけど。

ヒーローという安全装置

 ロボット(人工知能)には寿命がないため、永遠に支配される恐れがある。しかし生物的な弱点がないことから、理想的な為政者になる可能性もある。ポイントは、人間が「No」と判断したときになにができるか、だ。

 累が否定したヒーローこそ、その答えではないだろうか?
 ヒーローが日常的に必要な社会は壊れているが、ヒーローが存在しない社会にもリスクがある。『ダークナイト・ライジング』(2012)のようなヒーローの再定義を見たかった。

 たらたら書いてきたけど、なにか結論があるわけじゃない。

 『ガッチャマン クラウズ』は第2期もあるらしいので、ほんのり期待してみよう。