愛が苦しみなら

2005年 娯楽 ゲーム 物欲
愛が苦しみなら

愛が苦しみなら いくらでも苦しもう~♪

といえば、『ベルサイユのばら』のエンディングテーマである。この歌はとても切なく胸に響く。オスカールッ!!
それはそれとして、このような疑問も浮かんでくる。
苦しいなら、愛さなければいいのに……

みずからの愛によって轟沈していく人びとを、私はたくさん見てきた。つまり、オタクである。
彼らは、ほんとうに豊かな愛を持っている。それゆえ、適当に済ませることができない。ふつうの人がほんの一瞬だけ夢中になって忘れ去るものを、いつまでも愛しつづける。何年経っても、販売が停止されても、仲間がいなくなっても、心の炎は消えることはない。

──かつては私もそうだった。
過ぎゆくものを惜しみ、新しいものを受け入れる。ふくれあがっていく「エンタメ負債」。部屋はどんどん狭くなる。世間はどんどん遠ざかる。
特撮、アニメ、漫画、ゲーム、オモチャ、イベント……。
金と時間、あるいは人生のチャンスさえも捧げてきた。血を吐きながらつづけるマラソンだった。そして私は、こう思うようになった。

「こんなに苦しいのなら、こんなに悲しいのなら……愛などいらぬッ!!」

「エンタメ負債」とは、みずからの愛の重さで沈んでいくことだ。
アニメやゲームの制作会社が悪いわけじゃない。ましてや、愛情そのものが悪いわけでもない。

要するに、コントロールだ。

自分の収入より高い買い物をすれば、破産する。自分の胃袋より大きなものを喰えば、おなかをこわす。
これと同じだ。自分の時間で鑑賞しきれない量のエンタメは、毒になる。そのときエンタメは、喜び(資産)ではなく、苦しみ(負債)となるだろう。

……とはいうものの、愛情ほどコントロールしにくいものはない。
つい買いすぎてしまう。欲しくなってしまう。
「いま買わないと」「あとで見るから」と言って、時間の借金を増やしてしまう
わかっちゃいえるけど、やめられない。

  愛が苦しみなら いくらでも苦しもう~♪

愛とは、苦しむことかもしれない。