砂の城

2005年 生活 健康
砂の城

3連休は、千葉の実家にもどっていた。
祖父に会うためだった。
明治41年生まれの97歳。私の母を育て、北海道で80歳まで開業医をしていた。その後、千歳で静かな余生を送っていたが、昨年倒れた。そのため、母が北海道から連れ出してきたのだ。

倒れたとき、祖父は脳にダメージを受けた。病院に担ぎ込まれたころは、自分の娘(私の母)も識別できなかったらしい。今は、だいぶ復調しているが、それでも記憶の欠如と体力の低下は著しかった

祖父は、介護用ベッドに横たわっていた。
元気だった。一瞬の戸惑いはあったものの、私が孫であることは理解できたようだ。いろいろ話そうとするのだが、言葉がつまる。孫との記憶が思い出せないらしい。祖父は何度も頭を叩いて、「もう、ここが駄目だから、思い出せないんだよ」と笑った。
祖父は、70歳以降の記憶の大部分を失っているようだった

「97まで生きても、これじゃ迷惑なだけだな」
祖父は、娘家族に介護してもらっていることを、ほんとうに申し訳なく思っているようだった。言葉の端々に、自虐的な雰囲気がにじむ。
それは、偽らざる祖父の本音なのだろう。
いろいろなものを失って、最後に人格のコアが残ったような感じだった。

高速道路をかっ飛ばして、自宅に帰る。
昔、誰かが言った。
「天国にもってゆけるのは、思い出だけだ」
この言葉が、私の基本人格を作ったといえる。地位や名誉、財産などはすべて、よい思い出を作るためにある。よい思い出を作れない人生には、なんの価値もない。
それが私の信念だった。
しかし老いとは残酷なものだ。思い出さえも奪ってゆく

人生とは、浜辺に作られた砂の城のようだ。どんなに豪奢に、どんなに頑丈に作っても、潮が満ちれば崩れ去ってしまう。なにも残らない。残すことができない。
いま見ているもの、いま感じているもの……すべては消えてゆく

(そんなことはない。希望はある……)
そう思えるほど、私は悟れていない。いま思うことは1つだ。
「人生は短い。今日という日をもっと、もっと大切にしよう!
私はアクセルを踏んだ。