作家と読者
2005年 哲学 創作ずいぶん前に、とある掲示板で見かけたトピックを思い出した。たしか、こんなことが書いてあった。
「そもそも作家と読者が仲良くできるはずがない。
それは、ホームページが与えた幻想に過ぎない。」
「名著を読んだら、著者には会うな。
作品は、作品だけで評価すべきであって、
作家のキャラクターを透かしてみるのはよくない。」
「作家を知ってしまうと、作品を見る目が曇るぞ。
信者になって、駄作でも喜んでしまうか、
アンチになって、良作でもこき下ろしてしまうか、どちらかだ。」
「作家は、不特定多数の信者にチヤホヤされるより、
特定少数の友だちと馴れ合いたいんだよ。
みんなそれがわかったから、自分のサイトを閉鎖して、
SNSに閉じこもってしまったのさ。」
私がやったことは、これの逆パターンかもしれない。
仲良くやっていた世界に、作家と読者という構図を持ち込んだのだ。どうしたって、伊助というキャラが見えてしまうだろう。
いや、そうなるように私が仕組んだのだ。
私がどんな人間で、どんな思いで文章を書いているのかを明らかにしてから、ショートショートを発表した。
いわば、「あとがき」から読ませたようなもんである。
◎
──反則といえば反則だ。
しかし私は、べつに恥じてもいないし、悔やんでもいない。
発表する以上、作品だけが純粋に評価されるはずがない。
伊助というキャラ、通常日記、そしてショートショート。
これらはすべて、連続した1つの作品なのだ。
個別に楽しむこともできるが、通して読めば、もっと楽しめる(はず)。
この日記もまた、作品の一部なのさ。
私の趣味は、文章を書くことじゃない。
私に接した人を感動させることだ。
文章は、そのための手段に過ぎない。
......と思うことにした。
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