ホラーの皮むき

2008年 娯楽 ゲーム 創作
ホラーの皮むき

ホラーでは、ぼかした表現が多用される。

なにを見たのか、どうなったのか明言しない。いるはずのない人、あるはずのないモノがちらっと見える。事情が見えず、不自然なところが、恐怖を駆り立てるのだ。
しかし最後まで謎が明かされないと、ストレスになる。大切な部分を隠して引っ張るのはいいが、そのまま投げっぱなしで終わるのは好ましくない。

もちろん、あえて隠しておく手法もある。俳句の世界に『いひおほせて何かある』という言葉がある。「言いたいこと、細かいことまで書いてしまってどうする。余白、余情を残しておきなさい」と言う意味だ。けだし名言だが、それは隠すべき背景があってこその話だ。

先日プレイした『零 -月蝕の仮面-』もそうだが、底の浅いホラーにうんざりする。思わせぶりな断片ばかりで本筋が見えてこないのは、隠しているのではなく、考えていないせいだろう
たとえば資料に欠落があっても、そこに収まるべき言葉を用意していない。ただ資料が欠落している方がホラーっぽいから、そうしているだけ。
そういうホラーの分析は、「らっきょの皮むき」みたいで、虚しい。

しかし らっきょは実ではなく皮を食べるもの。ホラーも筋書きではなく、雰囲気を楽しむものかもしれない。ミステリで死人が出れば、犯人の素性や動機、手法に関心が向くけど、ホラーで人が死んでも「よくわかんねーけど、呪いじゃね」で済まされる。細部の辻褄を気にする人は少ない。それでいいのだろうか?

すべてを明らかにしてほしいわけじゃない。隠してもなお、ほのめかされる事実に戦慄したいのだ。『八墓村』の呪いのように、もう1つの解釈が成り立つときが最高に怖い。

しかしゲームにそこまで求めるのは間違いなのか……。