世代を考える
2007年 政治・経済 社会 考え事私は1971年生まれ。就職氷河期の直撃世代である。
1991年のバブル崩壊によって景気が悪化、企業はのきなみ新規採用を控えるようになった。ちょっと上の先輩はぬるーく就職できたのに、いざ自分たちの番が来ると社会の扉は固く閉ざされていた。
それは大きな変化だった。
その変化に気づかなかった(気づいても対応が間に合わなかった)者は、厳しい就職活動を強いられた。
私の世代は正社員になれなかった者が多い。
そのため契約社員、派遣社員、嘱託といった新しい雇用スタイルの実験に付き合わされた。そこからもあぶれた者は、フリーターやニートに身をやつした。
1970年代から1980年代初頭に生まれた者は、のちに「氷河期世代」、「貧乏くじ世代」などと呼ばれた。
氷河期で生きていくには、実力をつけるしかなかった。
企業は即戦力しか求めない。「やる気はあります!」では通じない。「やれます、やらせてください」と言うしかない。
それに……私たちは第2次ベビーブーム生まれだ。
とにかく人数が多い。替わりはいくらでもいる。部下は育てず、取り替える時代なのだ。できるヤツが出世するとはかぎらないが、できないヤツが排除されるのは常識だった。
◎
──そして時は流れた。
企業の業績は回復し、団塊世代の退職(2007年問題)にそなえ、企業はふたたび新規採用の枠を増やしはじめた。新卒者の求人倍率は上昇し、引く手あまたの売り手市場となった。少子化も影響している。いま、社会に出てくる若者たちは、生まれたときからライバルが少ないのだ。
いま、ふたたび変化が訪れようとしているのかもしれない。
企業は中長期的に人を育てようとしている。それはつまり、みんなで助け合うってことだ。仕事ができる人(現在価値)より、育てたい人(未来価値)を優先する。終身雇用が復活し、長期的な人生設計ができるようになる。
それは……私たちが入れなかった社会の再現だ。
あと10年早く、あと10年遅く生まれていたら?
そんなifを考えても仕方がない。
とにかく変化に対応していくしかない。