デマ規制は百害あって一利なし / 菅政権ネット規制強化

2011年 政治・経済 デジタル ネット社会 原発 災害
デマ規制は百害あって一利なし / 菅政権ネット規制強化

 デマを規制できるなんて、とんだ思い上がりだ。

 4月6日、総務省は、東日本大震災に係るインターネット上の流言飛語への適切な対応に関する電気通信事業者関係団体に対する要請を出した。ブログにデマを書き込むと、「適切な対応」をされてしまうのだ。これにネット市民が反発、総務省に問い合わせたところ、下記の返答があった

  • 具体的にこれはいけないとか、こういうのがあるから駄目だということを指摘するつもりはない。
  • 表現の自由を抑制することは毛頭ない。

 定義も例示もせずに規制するなんて、どうかしている。あいまいな規制が拡大解釈され、言論統制になることは、戦前の日本が証明している。官僚組織は明治から存続しているから、いっこうに学んでないようだ。

 それに、インターネットだけを狙い撃ちにするのはおかしい。テレビだって、新聞だって、ビラだって、政府公報だってデマになり得る。そう、もっとも危ないのは政府公報だ。
 震災直後、「この事故はレベル7相当だ!」と書いたらデマになるんだろうか? あるいは「直ちに健康には影響しない」と書く方がデマなのか?
 政府は、「問題ない」「問題の可能性がないわけではない」「問題が起こっている可能性を否定できない」「ただちに問題ではない」とちょっとずつ表現を変えてきた。シーベルトやベクレルなどの単位が増えて、数値がちょっとずつ高まっていく。気がつけば、チェルノブイリに次ぐ大事故だ。ゆるやか~に危険度が上がったため、びっくりする機を逸してしまった。まるで「ゆでガエル」だ。

ゆでガエル

2匹のカエルを用意し、一方は熱湯に入れ、もう一方は冷水に入れて、ゆるやかに温めていく。すると前者はただちに飛び跳ねて脱出・生存するのに対し、後者は水温の上昇を知覚できずに死亡する。
環境の変化がゆるやかだと、人は順応してしまい、適切な行動ができない。たとえば、じりじり待遇が悪くなって、気がつけば転職できないなど、ビジネスの教訓としてよく引用される。

ただし生物学的には疑問があって、熱湯に入れられたカエルは筋肉が硬直して脱出できず、またカエルは変温動物なので環境の変化に慣れることはない。むしろ、変温動物の人間に当てはまる論理であり、ゆでニンゲンと言うべきもの。

 その後、菅政権ネット規制強化 国民をもっと信用すべきと専門家指摘というニュースがネットを震撼させた。管政権が震災のドサクサにまぎれて閣議決定。捜査当局が裁判所の捜査令状なしでインターネットのプロバイダに特定利用者の通信記録保全を要請できるようにするもの......と書かれている。
 しかしこの記事はデマ。そんな法案は出ていない。おそらく総務省のデマ規制に合わせた過剰反応だろう。さいわい(?)、デマが削除されることはなかった。つまるところデマ規制は、デマに無効であるばかりか、デマを助長してしまったわけだ。

 直近では、管総理は「原発周辺は20年住めない」と発言し、物議を醸した。のちに事実無根と否定されたけど、どっちがデマなんだ? デマだとすれば、発信源は松本健一内閣官房参与なのか、新聞記者なのか? ここも追求されずじまい。誤報とデマの違いはなんだ?

 デマをなくすためには、正確な情報提供をつづけるしかない。あいまいな官僚の作文は、デマの温床になるばかり。また、総務省などのホームページがわかりにくく、訂正記事を見つけにくいこともデマを助長している。つまるところ、規制されるべきはネットではなく、政府の方だ。
 ネットユーザーが情報を解析し、デマを駆逐している。この自浄作用を失うわけにはいかない。政府公報が絶対的に信用できるようになるまで(なりっこないが)、デマの規制はやめた方がいい。

菅政権ネット規制強化 国民をもっと信用すべきと専門家指摘
https://news.mixi.jp/view_news.pl?id=1565815&media_id=125