握り寿司の悩み / 料理は時間と金の無駄か

2013年 食べる 食べる
握り寿司の悩み / 料理は時間と金の無駄か

寿司は嫁の好物だった。

私はスーパーの寿司をあまり買わない。回転寿司の方がいいと思っているからだ。なので嫁も、寿司を食べたいとはあまり言わなかった。ところが私が寿司を握ってくれるとなると、遠慮しなくなった。「寿司、喰いてぇ、寿司ぃ」と、呪いのようにねだりはじめた。

てなわけで、ちょくちょく握るようになった。前の日記にも書いたけど、やればやるほど上達する。まだ酢飯が大きかったり、握りが強かったりするけど、ぐんと早くなった。一連の動作を身体がおぼえたようだ。

何事も上達するのは楽しい。

私も寿司は嫌いじゃないし、出来もそれほど悪くない。まだ伸びしろがありそうだから、ちょくちょく握ってやるか。

気になるのは経済性だ

手作りする以上、市販品より安いか、おいしくなければならない。今のところ味は劣るから、せめて安上がりにしたい。

今回、刺身の盛り合わせで握った寿司は18貫(えび×3、ほたて×2、はまち×3、まぐろ×3、いか×4、中トロ×3)で995円。酢飯を加算してら、もうちょい高くなる。かたやスーパーの寿司は13貫(まぐろ、まぐろ、ほたて、サーモン、焼き鮭、イカ、イカ、えび、えび、あじ、いくら、ネギトロ、たまご)で698円。価格差は大きくない。それにスーパーの寿司の方がネタの種類が多い。自分で握る方が安上がり、とは言えないな。

ネタの種類が減って、味わいも劣り、おまけに安くないとすれば、自分で寿司を握る意義はなんだろう?

安さの侵略

たとえばコロッケやフライドポテトは、どうやっても冷凍食品に勝てない。むかしは「安かろう悪かろう」だったけど、近ごろは安い、うまい、長持ちと、三拍子そろって死角がない。もちろん、時間と金をかけた最高級コロッケには勝てないが、それと比較するのはフェアじゃない。

寿司も安くなった。
「機械で製造した乗っけ寿司と、職人による握り寿司はちがう」
という意見はもっともだが、そういう人は寿司屋に行けばいい。寿司屋に行くほど金も気合いもない人に、機械で製造する寿司はありがたい。お手軽だ。

今はまだ自分で料理した方が安くて、おいしくなるケースは多いが、そのうち料理は時間と金の無駄になるかもしれないね。電気や水道をインフラにたよって、自力調達しないのと同じだ。

合理的に考えれば、自分で寿司を握る意義はない。単なる自己満足だ。でもまぁ、それでいいのかもしれない。

「雨の中、傘を差さずに踊る人間がいてもいい。自由とは、そういうことだ」

──ロジャー・スミス 『THE ビッグオー』

寿司は買うより、握ることにしよう。たとえ合理的でなくても。