制御された好意
2004年 哲学 物欲最近のフィギュアは出来がいい。
その造形の細かさ、バランス、表情、躍動感には、芸術性すら感じる。
しかし私は、フィギュアは買わないと決めている。
以前は好きだったし、集めてもいたが、2つの問題が生じたのでやめた。
1つ目はキリがないこと。
次から次へと出てくるから、買う金も、飾る場所も足りなくなる。
シリーズは揃えたくなるし、新作チェック、レアもの探求も欠かせない。
2つ目は捨てられないこと。
ものへの愛着が強い私は、捨てるのが苦手だ。
捨てるフィギュアへの供養にも疲れ果ててしまった。
フィギュアを集めることは、無間地獄にも等しかった。
だから、きれいさっぱりやめた。
「犬が好きだから飼わない」という心理に似ている。
ときおり、コンビニで強く惹かれることもあるが、我慢している。
◎
一方、私の周囲には、フィギュア好きが多い。
ほんとうによく買うし、よく飾っている。
不思議に思って、聞いてみた。
──飾るところに困らない?
「飾れる分しか買いません。なにか買ったら、なにか捨てます」
──捨てるのはツラくない?
「べつに。楽しんだ思い出が残りますから」
──集めるのは大変じゃない?
「高いものは買いません。買えないものは欲しがりません」
(……なにかがちがう……)
好きという感情は、制御できないものだ。
暴れ馬のようなものだ。
そりゃ、感情のままに行動しちゃまずい。抑制も必要だ。
しかし、しかしだよ……
「伊助さんは、好きということから逃げてるんですよ!」
なんてことも言われた。
ぐぐっと凹む。そうかもしれない。
(みんながオトナなのか、私がコドモなのか……)
もちろん、フィギュアの話じゃないよ。