なにより重要なのは「情報」か

2011年 社会 スーパーにて 災害
なにより重要なのは「情報」か

 災害発生時、もっとも重要なのは「情報」だった。

 今回、たまたま安全な場所にいて、たまたまテレビもネットも使えたからいいけど、そうでなかったら……と想像すると怖くなる。実際、停電に難儀したマイミクもいる。

 いつ、どこへ、どのように避難すればいいのか?
 あるいは、むやみに動かない方がいいのか?

 不便はヤリクリできるが、不安は堪えがたい。いや、不安を堪えても、判断が間違っていたらオシマイだ。津波が見えてから走っても間に合わないし、先のない道路を走っても助からない。家の奥で息を潜めて、避難勧告を聞き逃したら間抜けだし、あわてて飛び出して、放射性物質に被爆するのもごめんだ。

 災害時の情報は生死を分ける
 より新しく、より正確な情報が、なにより欲しい。

停電とラジオ

 なので私は、停電に備えて携帯電話を充電した。地震対策のセオリーでは、断水にそなえて水をためるのが重要らしいが、その前に充電だった。
 そういえば、我が家には電池式ラジオがない。もし停電したら、ラジオは貴重な情報源になっただろう。やはり買っておいた方が無難かな。まぁ、次の大震災の発生時に、家にいるとはかぎらないが……。

恐るべきデマ

 これだけの災害でありながら、暴動や盗難のニュースがないのは素晴らしいことだ。しかし一方で、デマが散見されるのは残念でならない。「サーバ室に閉じ込められた」というツイートや、コスモ石油火災の汚染に関するデマは、情報流通や救助活動を大きく妨げる。デマを流した人は、これが冗談では済まされない破壊行為であることに、どうか気づいてほしい。

雰囲気はもういい

 全国ネットのテレビやラジオは、災害の悲惨さを訴える映像ばかり繰り返している。まるで終わった災害をレポートしているようだが、まだ終わってないよ! いま必要なのは、避難場所や経路の情報だと思うが、どうにも弱い。
 地図やリストなどの情報提供は、ネットの方が迅速だった。家に帰れた人は、多かれ少なかれネットを参照したはず。テレビやラジオは、「情報」より「雰囲気」を伝えるメディアだとわかった

自分に必要な情報をどうやって手に入れるか

 テレビもラジオも同じ内容の繰り返し。ずっと視聴してると、不安を駆り立てられる。しかしテレビとラジオを消すと、重要な警報を聞き漏らしそうで不安にある。困った。
 重大な警報があったときだけ、パソコンにポップアップが出ればいいのに。iPhoneにも速報系のアプリはあるが、常駐してくれるわけじゃない。理想的には、枕元に置いておいても、緊急速報が出たときはアラートが鳴るような機能がほしい。
 阪神・淡路大震災のときに比べれば、IT技術はずっと進化している。今回の教訓で、さらに進化するだろう。そう願いたい。
 と、日記を書いてるうちに、福島原発の天井が崩落した。
 どのチャンネルも原発に集中している。だが、こうしている間も避難や救助している人はいるはず。そちらへの情報提供はどうなる? とはいえ原発は気になる。

 困った。
 情報があってもなくても困るのは、私が興奮しているせいか。