出口ナシ
2004年 哲学 人と動物 日常そのとき「彼」は、激しくケージに歯を突き立てていた。
巨大モール内の、閉店間際のペットショップ。周囲に人はおらず、ガシャガシャという音だけが響いている。店内に足を踏み入れたのは、この音の正体が知りたかったからだ。
「彼」が入っているケージの下には、貼り紙がかかっていた。
《かまれますので、ぜったいに手を入れないでください》
どうやら「彼」は、いつもこんな調子らしい。
見渡すと、ほかの動物たち(ハムスターやらウサギやら)は、みなケージの中でオトナしくしている。「脱出なんて夢また夢」と、あきらめきっているような雰囲気だ。
ここ(ペットショップ)での暮らしが、快適とは思えない。しかし彼らがそれを理解しているとは思えない。
では、不幸と認識していなければ、それでよいのか?
人間の暮らしだって、ケージの中とそう変わらない。
多くの人は、そのことに慣れてしまって、「脱出なんて夢また夢」とあきらめきっているのかもしれない。
不幸と認識していなければ、それでよいのか?
──どうやら私は「彼」に、感情移入しているらしい。
「彼」の歯が、ケージの針金を打ち破ることはないだろう。
多少は壊せるかもしれないが、すぐに店員がやってきて、新しく、より頑丈なケージを用意するだけのことだ。万が一、針金をやぶって脱出できたとしても、モールから抜け出したとしても、外には広大な人間社会が広がっている。
どうにかなるとは思えない。
そんな残酷な運命を、「彼」は知るまい。
いや、知っていたとしても、きっと「彼」はあがきつづけるのだろう。
私は独り、ペットショップで考え込んでしまっていた. . . 。